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mopetto2012のブログ

朴裕河氏が『帝国の慰安婦』を著しました。私は、そこに差し出された「新しい偽善のかたち」から誤謬の一つ一つを拾いつつ、偏狭な理念に拒否を、さらなる抑圧に異議申し立てをしていくものです。

朴裕河『帝国の慰安婦』批判(2) 「新しい偽善のかたち」

 朴裕河著『帝国慰安婦』は、花や香をまとうように「和解」を唱えている。

遥かな声が遠い時間の彼方から向かってきて、読む人々を「赦し」という目標に駆り立てていく。穏やかで分かりやすい語り口。まるで外交官でもあるかのように、衣装を凝らして「心の礼儀」「平和的愛好」「情愛」をまとって〈同意〉を求めくるのだ。

 日韓の「歴史問題」を難解なものとして避けていた人も、いつのまにか「すべてを知っている」という特権的な立場におかれて快適になってくるだろう。そうして、やがて「これこそが真実だ」と膝を打つことになるのだ。まるで観光旅行のガイドブックのようにありふれたことが次々と語れているのだから読み手は躓くことなく進むことができる。

 書き手の肩書は、韓国「世宗大学日本文学科教授」である。日韓の歴史を俯瞰しているように書かれているので、「つつましい」日本人の多くは安堵し、そうして韓国の権威者と対等に「共感」している自分に酔いさえするだろう。

 実をいえば読者は、門口に入って間もなくには、蜘蛛の巣の網にとらわれるように迷子になっているのだが…歴史の基礎知識に乏しい人には見破ることが困難である。なぜなら、朴氏には、歴史に関して網羅的な知識がないために理ではなく情念から「物語っている」からである。

 日韓の政治問題として猖獗(しょうけつ)を極める「歴史問題」を饒舌に抽象化し、すかさず誘導していくとは実に巧みな器用仕事といえる。しかし、逆に〈歴史とは何か?〉と問いながら精読する人は、すぐに「歴史」から滑り落ちるものを読み、虚構性を見破ることになる。

 誰の利益に寄与するのか!

読みながら、ジャーナリズムの浅薄な企みに癒着しているのか?と疑ってしまった。この本は、実は2014年7月、鳴り物入りの刊行が予定されていたそうである。しかし、朴裕河氏が、ナヌムの家と「慰安婦」被害者から訴訟を起こされたため頓挫しそうになったのだ。が、結局は、11月4日(ひっそりと)刊行された。そもそもは、「朝日新聞検証記事」の水先案内人を仰せつかっていたのだろうか?

※版元の「朝日新聞社」は、2014年8月5日、6日、「慰安婦検証記事」を掲載したが、それは狂気の沙汰というような「朝日新聞バッシング」を招き、ついには、朝日新聞社の社長・木村伊量氏が引責辞任までしている。

 

 今日の日本では、「富の偏在」や「格差社会」という巨大な捻じりの下で、惨めさ、欠乏感に苦しむ人が多い。抑圧された感情は誰かに扇動されたならば火を噴いたように暴れていくが、今般の「慰安婦を巡る問題の議論」は群衆の破壊欲をいっそう高めている。彼らは、ますます多くの人々が合流してくると信じて、一段と激しく足を踏み鳴らして〈群がれ!〉〈繋がれ!〉〈固まれ!〉と呼びかける。

公然と(あるいはひそかに)破壊することが許されているのだから、痙攣するように暴れまわっている。ことに、ネット右翼の場合、この企てに参加しても自らに危険が及ぶことはないのだ。まさに「いじめ」の構造に似ている。

 ここへ出現した『帝国の慰安婦』は、「和解」どころか日本中に懐疑心を増幅していくばかりである。

出版後のさまざまな書評を読むと落胆し憮然としてしまう。私は、リベラル派にも痛烈な打撃を与えるのでははないかと杞憂している。戦後民主主義左派には、それぞれの陣営の間に「特有のもつれ」があるのだが、朴氏の問題提出が、ますます四散させていくことになると杞憂している。

卑近な例をひとつ挙げてみたい。若宮啓文氏の東亜日報への投稿である。(彼は、日本国際交流センター・シニアフェロー、前朝日新聞社主幹)

タイトル:[東京小考] 私も「右翼の代弁者」と呼んで JULY 31, 2014 05:29

>「朴教授を「右翼の代弁者」と呼ぶ方々には、ぜひお願いしたい。それなら教授を支持する私のことも、これからはぜひ「右翼の代弁者」と呼んでいただこう。」

高橋源一郎氏は、2014年11月27日〈朝日新聞:論壇時評〉にて>「峻厳さに満ちた本である」と絶賛。あたかも不毛の山嶺で耐えながら書いたものであるかのように、〈謝罪〉〈原罪〉を昇華させるように駆け上がっていった。

また、WEBRONZAにて、奥武則氏も、>「著者の認識にはくもりはない」と絶賛。

「知識人」が、かくも朝鮮半島の歴史に疎いものかと暗澹としてしまった。

 理論の難所で座礁してしまった「歴史問題」を遡上するとき、歴史の「事実」を勝手に解釈しては歴史研究者から手厳しい批判を受けることになるのだが、朴氏は、すでに検証された問題を新たに主観的にとらえ直して、感傷的な色合いまで加味して情緒的に解説している。例えば、〈千田夏光〉作品からの多くの引用である。これは、今日では創作であったことが明らかになっている作品である。(加藤正夫千田夏光著『従軍慰安婦』の重大な誤り」『現代コリア』1993年2・3月号)

 おそらく朴氏は、「日韓関係相史」「日本近代史」に疎いだろう。だから、気おくれもせず堂々と、> 「日本の責任は明確だ」といいながら、「強制性はなかった」と力説するのだ。

日本帝国主義は、1876年『江華条約』後、軍事占領というプロセスを経て膨張する植民地主義のなかで権力を占有し、襲いかかりながら隷属させていった。被植民地、被占領地の人々は、あるとき稲妻のように到来してきた日本帝国軍隊によって、強制的に奪われ蹂躙されていったのである。なかでも「慰安婦」問題は苛烈な侵害だった。まがいもなく「強制性」はあったのである。

 
相矛盾する衝動のなかで崩折れる論理

朴氏は、国家主義批判によって「慰安婦問題」を語りつくしたいようであるが…とすれば、否応なく天皇国家主義批判が呼び出されることになるはずだが、以下のように分裂した記述が目立つ。

P303 >「脱帝国主義をかかげながら、脱国家主義にはならなかった」P306 >「日本の支援者にそのことが見えなかったのは、天皇ファシズム批判に執着したためではないだろうか。」これは、以下の文面のための説明らしい。P305 >「〈世を変えるため〉との運動の目標は、左右対立を激化させ、普通の人々まで巻き込んで、左右対立の背景が見えないまま、民族・国家間対立を深化させたのである。」

 甚だしい誤謬である。日本における国民国家の成立は近代固有のものであり、それは、明治維新以後、政治的、人為的作為が機能して(つまり、天皇制』を基軸にして)形成されたものである。朴氏は、>「左右対立の背景が見えないまま」と大上段から非難しているのだが、実は、書かれている〈右も左も〉矛盾点は明らかにされておらず、また、根拠が示されず、その内容は二つながらに正当性を欠いている。だから、被植民地出身の学者として「天皇ファシズム」をどのように評価しているのかを読み取ることはできない。この本を読破するとは難儀極まりないのだ。多くの人は、途中下車するのではないだろうか。 

 ところで、朴裕河氏は、そもそもが「帝国」と「帝国主義」を混同しているのではないか?「帝国」とは実に千年を超える長大な過去が堆積している。BC7世紀~4世紀の時期、ユーラシア大陸で精神的な変革が進められると、巨大な都市ネットワークがつくられて「世界帝国」が誕生し、そうして、それらの周縁ネットワークは、やがて巨大都市をつくり、それぞれの地域に「世界国家」を作っていったのである。ユーラシアの「世界帝国」、次いでモンゴル帝国中華帝国。16世紀以後「帝国主義」の膨張がはじまり、19世紀以後は「植民地争奪戦」が世界を圧巻していった。

ところでまた、「帝国」とは、今日の新自由主義グローバリゼーション下の「新植民地主義」を指して呼ぶ場合もあるのだが、朴氏には一事が万事において混同がみられ区別が明確に記述されていない。国家主義帝国主義、帝国と帝国主義

 
恣意的な攪乱か?

以下にも、矛盾点を数点列挙したい。厄介ではあるが、字面をとくと読んで比べていただきたい。

P251 >「日本は一九四五年の大日本帝国崩壊後、植民地化に関して実際には韓国に公式に謝罪したことはない。」と書きながら、P262では、>「自民党と官僚は法的な責任を認めず、国家資金から個人補償することに反対しました。しかし、道義的な責任は認めており、謝罪して、償いの事業をすることには賛成しました。和田春樹2008年)」

と書いている。支離滅裂である。この不連続性、この思考回路はどのような状態であるのか!歴史の事象が左へ右へ、あるいは右から左へと漂流をはじめ、雑然と拡げられたまま突如として折り重ねられて着地してしまうのだから面喰ってしまう。ところで、

P251では、 >「同じような境遇に処された日本人もまた、そのような謝罪や補償の対象にはならなかった。略…少なくとも〈法的〉には責任がないことになる。」

 と、突如として、だしぬけに脈絡もなく、戦時下の〈日本の犠牲者〉を並置して語るのだ。これは、手の込んだ留保なのか?あるいは、ナルシシズム的な歪曲なのか? いずれにしても、結局はツルツルと滑って日本の右派(中道)の誤謬と同じ位置に着地しているのである。しかし、すでに情緒的に魅せられている読者は、清濁併せ呑むように納得しようとするのだろう。

 また、P299では >「『女性の普遍的な人権』として訴えた結果、今世界における慰安婦問題では『朝鮮人慰安婦』はいない。『慰安婦のほとんどが朝鮮人』と言いながらも、『なぜ朝鮮人が多かったのか』について語れなくなったのである」>「その代わり韓国は、〈道義的に優位〉という正当性による〈道徳的傲慢〉を楽しんできた」

この着地に呆然とする。自身が被植民地出身の社会学者であるならば、まずは自説として「なぜ朝鮮人が多かったのか」を語るべきである。責任転嫁が甚だしい。ことさら左様に『帝国の慰安婦』を読むとは、ほんとに眩暈がする。難儀するのは、難解なためにではなく、著者の歴史意識の混乱、歴史認識の誤謬のためである。

さも複雑なプロセスを経たように言葉で飾りながら唐突にジャンプするのだ。ひょっとするとウカツなだけかと見えてしまうが…この混同には悪だくみがあるやもしれぬ。自らは微妙な立ち位置を保ちつつ、言論界における<立場取り>をしっかりやっている。

 一切の事態を複雑にしているのは、結論先にありきの〈或る結論〉に無理を押して辿り着きたいためである。書きながら、相矛盾する衝動のあいだで朴氏は自分自身の欺瞞から免れようともがいているようにみえる。

 『帝国の慰安婦』は、韓国の「慰安婦」を支援する運動体を執拗に誹謗中傷しているのだが、ここで、さて韓国ではどのように批評されているのだろうか?

是非とも、以下を参照していただきたい。法律家として的を得た論説をしておられる。朴氏は、この本の出版のために、自分は韓国で魔女狩りにあっていると訴えているのだが、訝しく見えてくる。

 「帝国の慰安婦」書評【感情の混乱と錯綜:『慰安婦』に対する誤ったふるい分け】(建国大学校 法学専門大学院 イ・ジェスン教授)

http://east-asian-peace.hatenablog.com/entry/2014/07/07/233504

 また、以下は、朴氏の学際的な立場を証言している。

「帝国の慰安婦」書評【アジア女性基金と日韓の学会、そして朴裕河 】(イ・ミョンウォン慶煕大教授のPPSS 6月17日記事より)

http://east-asian-peace.hatenablog.com/entry/2014/07/06/005231

  ハフポスト2014年3月6日【日本軍慰安婦問題を考える】(趙世暎東西大学特任教授、元韓国外交通商部東北アジア局長)は、水面下の日韓交渉について書いている。

 

アジア女性基金」の満身創痍と驕慢について

*〈アジア女性基金〉 正式には「女性のためのアジア平和国民基金」。元慰安婦に対する「おわびと反省」を表明した河野洋平官房長官の談話を受け、1995年7月に発足した。首相によるおわびの手紙と国民の寄付から償い金200万円、国費から医療福祉支援事業として120万~300万円を元慰安婦に支給。一定の役割を果たしたとして、07年3月に解散した。

参考資料 日本政府外務省:『慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策』と題して

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/ianfu.html

 大沼保昭氏は、誰もが知る「国際法学」の権威者であるが、【女性基金】立ち上げの構想段階から関わり、解散時まで粉骨粉砕して働いた、いわば中心的人物である。そうして、今日、もっとも「『慰安婦問題』と【女性基金】」について言説している学者である。大沼氏は、早くから「戦争責任」「戦後補償」問題に鋭いメスを入れてきたのであり、日本国家の背徳性については明晰に批判し、現在の日本の右傾化についても懸念を表明している。が、今日では、苛立ちをもって>「韓国の社会の余りにも変わらない、反日さえ言っていればいいという体質」(『アジア女性基金と私たち』P26)と痛烈に批判するようになった。

 最近では、憤懣やるかたなしというように、以下のように発言している。

>「そうして、韓国の支援団体とメディアは、罪を認めない日本から『慰労金』を受け取れば被害者は公娼になるとまで主張してこの償いを一顧だにせず、逆に日本批判を強めた。これは日本国民の深い失望を招き、日本の『嫌韓』『右傾化』を招く大きな要因となった。」(朝日新聞12月28日【慰安婦問題を考える:『アジア女性基金の検証を』】)

 慰安婦の真相究明に尽力した韓国の挺身隊対策協のような支援団体の活動を>「頑な償い拒否」、忌むべきナショナリズムであると強くバッシングしているのだ。

 読者の方は、ここで、ある符号に気づいただろうか?これは、朴氏の《挺対協》批判>「日本政府が作った基金への批判と攻撃」、また挺対協を支援する日本の革新左派運動批判と見事に連動しているのである。大沼保昭氏は、「『慰安婦問題』は何だったのか」(中公新書2007年)P225~226において、朴裕河氏を褒めたたえている。

>「…私も出席した日韓国交正常化40周年の記念シンポジウムでの『歴史認識に関する韓国側の報告はその多くが一面的で偏ったものだった。こうした憂鬱な面はまだ残っている。しかし、他方で、希望を抱かせてくれる新たな動きも芽生えている。その代表は、朴裕河教授の『反日ナショナリズムを超えて』(河出書房出版社2005年)と、本書でも繰りかえし引いた『和解のために』である。とくに後者は、『慰安婦』問題に一章を割いて、韓国側の過剰な対日不信、挺対協や韓国メディアによる被害者への抑圧などの問題を自省的にとりあげ、日本との和解のために、ともすれば自己を『被害者』とのみ考えがちな韓国民の反省が必要なことを的確に指摘している。」

功を為し、名を遂げると内面的緊張が弛緩し、ついにはそのダイナミズムまでが喪失していくのだろうか?

頭脳彫琢な大沼氏の文章は、いつも秩序をもって統一性をもって語るべく、細心に注意されているように感じていた。が、しかし、上の文章には呆然としてしまった。背景の違う多様な『言説』を水平化して、実は、入り組んでいる複雑な原因を特殊的諸原因の混沌のなかへと混ぜ込んでしまっているのだ。

しかし、実際には、【女性基金】は大沼氏が構想するようには動かなかったのである。それは、組織図を読むと一目瞭然である。当初より、【女性基金】は政府が設置し、役員は政府任命である。つまり、運営方針は政府が掌握していたのである。

少々分かりづらいのだが、理事会は〈意思決定機関〉であるとされていた。が、しかし実は、すべてが、政府任命の役員による【運営審議会】で決定されていたのである。しかも、運営審議会議事録は〈非公開〉さらに、国民基金であると名乗りながら、民間人は広報に徹するという役割分担。これは、大沼構想とはかけ離れたものであり、当初から危険が孕んでいたと伺える。

※【基金】運営審議会は、都合のよい情報だけ公開し,不都合な情報の開示は渋ったので、理事であっても全容は把握できなかった。

※【女性基金】の基礎から構想し、そうして最も骨を折った大沼氏は、当初一委員にすぎなかったために舵取りができなかった。(サハリン残留朝鮮人問題解決の最終段階にかっかていたために時間的に制約されていた。)しかし、1988年より、「国連『差別防止少数者保護委員会委員であったので、『慰安婦』からの告発は真摯に受け止めていた。

 日本政府の意向に振り回されるばかりか、発足当時から【女性基金】は批判にさらされており、何よりも「慰安婦」やその支援団体が拒絶するために何度も立ち往生した。まさに満身創痍のなかでの航海だったのである。漕ぎ出した以上、償いのための具体的方針に取り組まなくてはならないが、実態の把握が十分ではなかったために、「償い」の具体的内容の確定は困難を極め、次々と障壁にぶつかっていったのだった。

 
「女性基金」―その栄光は退廃の隠蔽である

 【女性基金】の理念は、大沼保昭氏によると、

>「戦争と植民地支配は政府だけの仕業、マスメディアや知識人を含めて国民一人ひとりが過ちへの自覚をもって償うべきもの」(「『慰安婦問題』とは何だったのか」P19)

であるから、募金活動を主要な課題にした。しかし、その方針の具体化「償い金の額」が決まるまでには内部に紛糾もあった。が、議論の末に以下のように決まった。

以下は、運営審議会委員横田洋三氏の発言>「予算の裏付がないものについて、政府としては責任ある答えを出すことはできないというものでした。」そこでどういう答えを出してきたかと、「日本の政府はお金が出せません。したがって国民からの寄附でやります。…略」(『アジア女性基金と私たち』P14)

つまり、日本政府が消極的だったという実情を吐露している。

追って、保昭保昭氏の発言。>「最初は、医療福祉事業はなかったんです。国民からの募金から償い金を出し、政府は基金事務局の費用だけ出すというだけです。」(『アジア女性基金と私たちP16」) 

ところが、実のところ、肝心の〈募金の調達〉は初期から困難を極め、その道程は苦渋に満ちたものであった。これは、そもそも、国民の支持が無かったという酷薄な事実を物語っている。

 ※>「償い金をいくらにするかということは、当時メディアが一番関心をもっていることだった。」(『アジア女性基金と私たち』P13~14  )

理念は、「官民が共同して償いを果たす」ということであったが、しかし、実際の募金は、官庁職域や労働団体に依存するものだった。(個人の寄付額はひじょうに小さいものであった。)

 当初から綻びを見せていた【基金】だったが、1996年5月、理事である三木睦子氏〉が呼びかけ人を辞任した。(『三木元首相夫人らが元慰安婦補償求め村山首相に要望書』『読売新聞』1995年7月1日)

大沼氏は >「これは痛手だった。」(「『慰安婦問題』とは何だったのか」中公新書P36)と悲憤に暮れたようである。三木氏はもともと大沼氏同様、〈国家補償〉を要望していたので政府の消極性には端から不満を漏らしていたのだが、「政府による反省とお詫びの表明」をめぐって、三木睦子氏の堪忍袋の緒が切れてしまった。

>「村山内閣と【女性基金】のあいだには、元「慰安婦」個々人に総理がお詫びの手紙を書いてそれを届けるという了解があった。」(「『慰安婦問題』とは何だったのか」中公新書P 36)

 ところが、1996年1月、村山内閣が退陣して、橋本龍太郎内閣に代わったのだが、橋本首相は、就任前、日本遺族会の会長でもあったためか断ったのである。これを知った三木氏は、首相に面会して問い糺したのであった。「政府の約束違反である」と抗議したのだった。(参考:『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』全5巻、龍溪書舎出版)

 ことさら左様に、【女性基金】は、日本政府の意向に振り回され続けることになったのである。しかし、「事実上の国家補償」と位置づけていた大沼氏は、医療福祉事業をなんとしても実現したいと奔走した。ここにこそ政府出資を仰ごうとしたのだ。しかし、政府はいつもウヤムヤであった。その上、事務局もまた消極的だったのである。運営方針が政府に握られている以上、このままでは自己の構想が実現されないと観念し、結局2000年、理事として運営に携わることになったのである。が、しかし、その頃には【基金】の運営は行き詰まっていて二進も三進もいかない状況だった。

大沼氏は、【女性基金】は、村山政権の政治的力学の中でこそ提案されてたものであり実現できたものであると言っている。

> 「当時の日本政府において望みうるギリギリの線であった。」(「慰安婦」問題とは何だったのか:中公新書

 資料を読むと、当初から内部に矛盾をかかえ、その実情は統一されないバラバラなもので、手かせ足かせを自らひきずって進むようなものだった。

同上P176 >「将来女性の尊厳の蹂躙を防ぐための歴史の教訓とする事業については大きな問題が残っている。日本政府自身の政策として『慰安婦』制度の実態を国民に伝え、将来への糧とする教育・啓発・広報活動はきわめて不十分だった。繰り返し述べた『アジア女性基金任せ』『首をすくめて嵐の通り過ぎるのを待つ』という日本政府の姿勢は、こうした不十分さを如実に物語る。」

 時の日本政府は、「基金」の活動を公然としたものとして示しながら、当人たちは穴蔵の中から監視しつつ、将来のための方策を隠密に陰険に練っていたというわけである。

しかし、また一方では>「彼女らを支援し、日々彼らに接している支援団体、運動をリードしてきた学者やNGO、ジャーナリストら」をやり玉にあげて非難している。

同上P163 >「法的責任は道義的責任に優るのか」という価値序列を想定することには根本的な問題があるのである。支援団体の「被害者が求めているのは日本政府が法的責任を認めることであって、道義的責任というのはごまかしだ」という主張には大きな問題がある。」と、一党両断に批判して、そうして、P164 >「真摯な、心のこもった、国家として正式な謝罪」が、「法的責任を認める政府の謝罪」

 であると弁解めいたことを言っている。

 
日本は何をやったのか、何をやらなかったのか

 日本政府は、「法的には解決済み」であると主張しながら、【女性基金】が義務を超えた取り組みをしてきたかのように振舞っている。が、しかし、ほぼすべての展示資料が英訳されていることからも察っせられるように、この発信はむしろ世界へのメッセージなのだろう。大沼保昭氏は今般、ますます、事実の断片をとらえて、「頑な償いの拒否」をクローズアップし、痛烈に批判している。いよいよ憤懣抑えがたいようである。

> 「韓国の支援団体とメディアは、罪を認めない日本から『慰労金』を受け取れば被害者は公娼(こうしょう)になるとまで主張してこの償いを一顧だにせず、逆に日本批判を強めた。これは日本国民の深い失望を招き、日本の『嫌韓』『右傾化』を招く大きな要因となった。」朝日新聞デジタル20141228日)

つまり、相手の「忘恩」というものを非難しているわけなのだ。犠牲を顧みず誠心に尽くしてきたというのに、【女性基金】は日本政府の隠れ蓑であると四方八方から非難されたのである。「過去、贈与したではないか、その債務感を忘れたのか」という恨みにも似た感情をもってしまうことは理解できなくもない。

 しかし、償われるべき被害とは何か!〉について思いを致していただきたい。1991年、金学順さんの告発は、日本人にとってはハンマーの一撃であったが、彼女は〈自己犠牲〉という行為をあえて引き受けて日本を訴えたのである。それは捨て身の問責という過酷なものであった。戦場で凌辱されつくされた「慰安婦」が受けた苦痛とは、そもそも加害者の苦しみによって支払われることなどあり得ない〈交換などあり得ない〉。

 慰安婦」たちの今日の活動を見詰めるならば、人生の最終章にきて、もはや何ら所有することなど求めてはいないことがわかる。〈銀の盆に盛られた金色の果物〉など求めてはいないのである。私には、古い掟を破って、新しい生き方を求めているようにみえる。今や、過去の迷いを断ち切って一つの方向を選び取り、これに賭けるというのではないだろうか。そのために、誠心な変わることのない謝罪を日本に求めているのではないか。

 大沼氏は、しばしば、1995年「戦後50年国会決議」を自画自賛している。しかしあの時、私は、日本はとうとう最後のチャンスを失ってしまったと悄然とし憮然としてしまった。それは、賛成多数という中身の問題にある。多数といっても定数の半数以下であり、また最大野党は欠席。与党でも「不都合のために」と私用を理由に欠席する国会議員が少なからずいた。

その反対者たちは、当然のように翌年には【新しい歴史教科書をつくる会】を結成し、また日本遺族会が中心になって「戦後50周年国民委員会」を結成し熱心に活動を開始していった。その背景には、「敗戦国」特有の、つまり戦勝国への対抗意識を根にもった〈敗戦後〉の日本人としての自尊心、ナショナリズムというものがあったように思う。※因みに現日本首相〈安倍晋三〉は、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(1997)を結成し初代会長におさまった。

 何がそうさせたのか!それは、ある陣営の勇み足から俄か作りしたためである。「かたち」をつくることに専念して侵略と加害のもっとも具体的で本質的な部分を掘り下げないままに俄か作りしたものだったようである。あの「謝罪文」は、〈熟慮の末に書かれた〉とあるが、断章を選び取って書かれたものらしい。欧米列強の「植民地支配や侵略行為」を先に上げて、後進国日本の止むを得なかった行為を反省すると述べているのだ。反省するといいながら、表現は「歴史観の相違を超えて」と断り書きをしている。それは東アジアの被害者からみれば「一べつをくれただけ」だけのものでしかなかっただろうと思う。

>「日本の『嫌韓』『右傾化』を招く大きな要因となった。」(朝日新聞デジタル2014年12月28日)

と書いているが、大沼氏には是非とも〈再考〉願いたいものだ。その排外主義とは戦前から継続しているものではないだろうか?

大沼氏は、米国コロンビア大学での「慰安婦」問題における講演を述懐し、悲喜こもごもの体験だったと語っている。

>「他国に例をみないかたちで償いを行ったことを高く評価してくれた。ひとりだけ、同大で学んでいた韓国の若手外交官が、『結局あなたがたは責任を認めようとしない日本政府に利用されたのではないか』その会場発言に大沼氏は次のように応答している。>「わたしたちが政府の一部に利用されたかどうかは重要な問題ではない。その結果、元『慰安婦』になにほどかのことができたのではないか」(『慰安婦』問題とは何だったのか:中公新書P202)

「行き違い、行き逢えない」応答である。

大沼保昭氏の今般の【挺隊協】(韓国挺身隊問題対策協議会)への批判は情念にあふれている。『俗人の思想』を著しながら、ほんとうには民衆に疎いように見える。あちらこちらで「韓国社会の『反日さえ言っていればいい』という体質」に絶望感を感じているといった発言が、「慰安婦」を支援する運動にいかに波紋していくかに思いが及ばないようである。

以下は、朝日新聞DIGITAL2014.4.16に掲載された、小沼氏の「現在と位置」である。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11086600.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11086600

 ――日本人は健全な愛国心を持てますか。

 「戦後日本の歩みは世界で類をみないほどの成功物語でした。日本にはそれだけの力がある。どんな人間だって『誇り』という形で自分の存在理由を見つけたい。メディアがそれを示し、バランスのとれた議論を展開すれば、日本社会は必ず健全さを取り戻すと信じています」

敬虔なシニシズムとも呼びたいようなヒューマニズムは、時に敬虔な「国家主義者」と結託する、と何かの本の一節にあったが、私は暗澹としながらその章句を思い出した。

話してはならないこと、聞いてはならないこと

秦郁彦氏は自らも理事だったのだが、【女性基金】の内情を暴露するように批判している。

>「問題は…略…関係者のほとんどが不満足な気持ちを捨てきれず、対決ムードが充満するなかで、見切り発車した点にあったろう」(『慰安婦と戦場の性』P289)

ところで、YouTubeに【下村満子秦郁彦対談 「女性基金」「慰安婦問題」深層NEWS「慰安婦問題」を考える】が載っている。(2014.8.20)一部を引用しよう。

下村満子氏の発言

>「ところが、私の感じから言うと、この方たち(挺対協)は慰安婦をタテに取って、慰安婦というこの方たちを利用してね、ハッキリ言って慰安婦のおばあちゃんの方たちのことなんか、ぜんぜん考えてないんですよこの方たちは」

 下村満子氏は、1997年、「アジア女性基金」の理事として被害者女性に償い金と首相からの手紙を手渡したのだが、『デジタル記念館』資料に、その時を回想を書いている。

>「こちらもすごい衝撃で、畳の部屋で和食のテーブルに向かい合って座っていたんですけど、途中で私は向こう側に行って、彼女を抱いて、『ごめんなさいね、ごめんなさいね。』って、一緒に泣いてしまいました。…略…そしたら、彼女がわんわん泣きながら、『あなたには何の罪もないのよ。』って。『遠いところをわざわざ来てくれてありがとう』という趣旨のことを言って…略。」

 憐憫の情は、たちまちのうちに差別に反転するのである。これはナルシシズムの罠とでも呼べるものではないか!これは、たんなる違和感、先入観とは別物であることを認識したい。参考のために、社会心理学者の考察「偏見の『理論化』」から引用する。

>「…先入態度は、もともと受け身に取り入れられ、そのまま反省する機会もなく、いわば惰性が続いているが、なにか特別な体験とか威光のある意見に出会うとたやすくこわれ、あるいは変えられる。これに対して偏見態度は、…先入意識が『理論化』され、きたえられる結果、固定し容易に変わらない態度である。」(南博社会心理学入門』1958年P133~4)

 かつて、宗教哲学者高橋敬基牧師より「実践の哲学」を学んでいたとき、氏は時に驚くような言葉で教えてくださった。「無知の善意は、場合によっては人を虐殺することさえある。」「差別意識が『科学性』と結びついたとき、この世は地獄となる。」私的会話であったから、強烈な表現で話されたたが、若かりし頃の私がつんのめるように実践に明け暮れているとき、いつも傍らから注意を促してくださった。             (つづく)

《独白》私は、「歴史」は実証主義でなければならないと考えてはいない。しかし、これが事実であると書く場合には「正確は義務であって美徳ではない」(ハウスマン)を肝に銘じている。しかしまた、知られている僅かの事実がすべて歴史上の「事実」であるとは到底考えられない。だから、まだまだ「知っていないと知り」謙虚でありたい。

ひと頃、日本でもヘイドン・ホワイトの「歴史の物語論」が流行ったことがあった。興味深く読み参考になったのだが、しかし、ポストモダニティ理論が陥るであろう危うさを大いに考えさせられた。「固有の経験」についての説明が過剰に一般化される傾向に危惧するのだ。

「帝国の慰安婦」を読んで、朴裕河氏は、構築主義で「慰安婦」問題を読み、さらに調停者にまでなろうとしたのだろうと感じた。それは、まるで上野千鶴子氏の「ポスト構造主義的」歴史学批判にならって書いているかのようである。しかし、上野氏ほどに「歴史哲学」を読んではいないようで記述は矛盾に満ちている。引用される資料は、文学作品さまざまと、『証言 強制連行された朝鮮人慰安婦たち』(挺隊協)からのものであるが、知られている僅かの事実を主観的に捉えて、好きなように『証言』の真偽を取り混ぜて書かれている。

いずれ、私は「歴史記述における言語と表象」というテーマで記事を書きたいと思う。今回、第2回目の記事を書くにあたって、もっとも悩んだのは表現である。表現は言葉によって表象して書かれるのだから、客観性を担保にするとき、ひじょうに難しいものと思い知らされた。

以下に、私が信頼する資料を紹介させていただきたい。

・資料『政府首脳と一部マスメディアによる日本軍「慰安婦」問題についての不当な見解を批判する 』 〈歴史学研究会委員会〉20141015

 ・資料 〈声明『政府首脳と一部マスメディアによる日本軍「慰安婦」問題についての不当な見解を批判する』

http://rekiken.jp/appeals/appeal20141015.html

〈余白〉

秦郁彦氏の著作『慰安婦と戦場の性』。日本政府によって英訳される計画があったが頓挫していたと著者が明かしている。原因は、内閣広報官から海外の読者を刺激しかねない部分をカットするよう要請されたからだということである。

※お詫び 前回の予告の記事のすべてを書くことができませんでした。煩瑣な用事に追われていますから少しお待たせしますが、3月初旬には書くつもりです。