【戦後70年安倍首相談話批判】 ―日本国、戦後70年の大計は「歴史的惰性」の上に立っていた―
安倍晋三首相は、被植民地・被占領地の人々の無残・苦悩・嗟嘆へ思いを馳せて、まずは「弱さが過ちを犯させた」と正面から見つめて謝罪するべきでした。
長い、ただ無駄に長い「談話」は、〈声低くして〉語られました。※注(1)下記
意味深長、不鮮明、不明瞭、不明確、注意深い隠蔽…その〈おぞましい婉曲表現〉は、人間を嘲笑する行為です。
「二つの谷に挟まれた危険な尾根」を安倍晋三首相は、一切の政治的決定を避けて見事に渡りきったと、満腹のご様子です。
小林よしのり氏のように「村山談話が冗長になっただけ」と放言して悦に入っているというのでは軽佻浮薄が過ぎると思います。安倍首相の【談話】は「魔術的文章」とも呼べるものでしたが、そこには、シニカルで政治的なポーズがありますし、それはまるで「蜘蛛巣城」で練られたような秘密を隠しているのですから凝視しなくてはなりません。
戸惑いと、反発から直前までアタフタしていた日本であり、マスコミも大騒ぎしていたのですが、『敗戦後70年目の談話』は、幻聴でもあるかのように〈処理〉されてしまいました。
とうとうアジアへ「反省の眼差し」を向けないままに過ぎてしまいましたが、この選択は、日本が、過去へ退行するという『大衆の愚行』を余すところなく世界に知らせることになりました。
『朝日新聞』2015年8月19日 【安倍談話に評価と懸念 米識者】
戦後70年の安倍談話をめぐり、米ワシントンで18日、東アジア専門家3人が議論し、安倍晋三首相が歴代首相談話を踏襲したことを評価し、日中韓関係の改善に期待する声が相次いだ。(略)
米戦略国際問題研究所(CSIS)のマイケル・グリーン副所長も、談話は「首相が右寄りでなく、中道を目指したもの」と分析し、「現実的な方向だ」と評価。ただ、「この談話の第一目標は日本国民に向けられ、第二は米国や豪州。第三が中国で、韓国が最後。これは日本にとって戦略的に誤りだ」とし、韓国へのさらなる配慮が必要だったとの認識を示した。
「輿論(よろん)統一」という事実は、愚行を賢行に見せ、虚構であるものを真実らしく見せてしまいます。皆々自分が大方と違わないとなれば、その人は狂わないで済むのですから、多くの日本人は、此処〈灰色の世界〉で、まどろむように息をするともなく息を吸ったり吐いたりするのでしょうか?
※輿論とは可算的な多数意見で、 輿の字がみこし(御輿) を担ぐという意味。「世論」は私的感情とか世間のムードといったもの。
人間の混沌とした胸の奥は闇のように底知れずではあるけれども、私は、艱難辛苦をくぐって【戦後70年安倍晋三首相談話】を分析するために、今から、貴方を〈1945年8月15日〉までご案内したいと思います。
戦争のパブリック・メモリー
8月15日は、酷熱がのしかかってくるような猛暑でした。正午、日本国民は、直立して項垂れて『玉音放送』を聴いた(そうだ)。あえて「そうだ」と伝聞調を強調するのは、それは事実とは違う、作話された物語であるという意味を含んでいます。
実は、玉音放送は8月14日であったと証言する人が少なからず現われましたし、それらの多くが裏付けされています。
「敗戦」して、ポツダム宣言を受諾した日が8月14日。文書調印は、ミズーリ号上で9月2日に行われました。なのに、なぜか?日本では、お盆の真っ最中の「8月15日」が「終戦記念日」であると演出されたのです。
皆が追想する8月15日の「玉音放送」は、そのラジオ放送自体に雑音が多く、また低音質でしたから、聴く人は何を「言わんと」しているのか理解できませんでした。多くの人々は、その後、NHK和田信賢アナウンサーの「解説」によって「敗戦」の事実を知ったのです。
【創られた伝統―8月15日とその「記憶」】
そもそも玉音放送は、8月14日であったといいます。(青森県の教員だった花田省三さんの証言による)
そうして、45年8月15日当日の新聞各紙夕刊には「玉音にぬかずく国民」の記事が掲載されましたから、国民は一日ずれて戦争終結を知ったのです。(そもそも、当時の技術で写真が当日の新聞に掲載されるはずがありませんでした。)
悪魔と〈よしみ〉を結んだかのように、1945年8月15日は、あくまで歴史的状況に客観的位置づけて据えられることになったのです。
>「ひたすら権威の決断にすがる忠実だが卑屈な従僕」(『現代政治の思想と行動』P161)に成り下がっていた日本人の多くは、その心性醸成のために〈むさぼるように呑みこんで一切合財を了解〉したのでした。「ありのまま」現状肯定するほうが楽だったのでしょう。
以後、8月15日は「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」と定められ、政府は半旗の掲揚を各官庁、学校、企業等に求め、日本国民の多くは〈喪に服するように〉戦歿者を追悼しています。
※戦歿者とは「戦没者」と同意ですが、あえて戦歿者と書く場合があります。例として『日本会議』を挙げます。「戦歿者追悼中央国民集会」とし、>「集会では、国歌斉唱、靖国神社を拝礼した後、昭和20年8月15日の『終戦の詔書』の玉音放送を拝聴。」それは、〈御霊をまつる〉という意を込めているわけです。
「敗戦」という事実を否定したかった右派勢力は、昭和天皇の「終戦のご聖断」という物語を作話しました。御前会議でなされた聖断が「もののあわれ」や固有信仰の幽冥観、儒教倫理によって〈読みかえ〉られて物語化され、戦後8月15日、多くの日本人が「終戦」の日として「戦歿者を追悼」しています。
「8月14日の御前会議の経過と天皇陛下の御発言」
>「戦争を終るべきであるということを言葉は静か乍ら断乎申されました。」
終戦直前の昭和20年8月9日にポツダム宣言受諾の可否について御前会議が行われ、鈴木貫太郎首相から乞われる形で宣言受諾の御聖断が下された。その後8月14日に再び御前会議が開かれ、再び御聖断の形でポツダム宣言受諾の最終決定がなされた。
http://www.jpsn.org/report/6267/
興味深いのは、「左派」もまたこれに乗ったということです。「8月15日」を【終戦記念日】としたのです。左派も左翼も押しなべて1945年8月15日「新生日本は始まった」として、その〈革命的建国型神話〉の共犯者になったのでした。
上意下達の一方向的なタテの人間関係を基本にしていた日本人ですが、しかし、左派や左翼の多くは「史的唯物論者」であり、また、天皇や軍部の責任を追及しようとしていたのですから、もちろん〈8月14日〉、〈9月2日〉については十二分に認識していたはずです。
私は、この右派と左派における【同床異夢】に日本の戦後「体制」の最も深い病理を観ています。戦前・戦時、「政治権力」のあらゆる非計画性と非組織性にも拘らず「日本の思想」はまぎれもなく戦争へと方向づけられていきました。「何がそうさせたのか?」は課題です。
さて、今般、リベラル左派とみなされていた知識人のなかにも、自分の物分かりの良さを自慢するように、安倍首相を讃えたり支援したり、ハタマタ、政府の敵対勢力を非難するようなプロパガンダ活動に加担する人がいます。「戦後70年目の8月」を前にしたとき、安倍政権の欠陥に挑みかかっていくべき好機だったのではないか、と残念でなりません。
知識があって能弁であるならば、このときこそ辛辣な批判を、異議申し立てをしていくべきと思うのですが、沈黙を決め込んで安楽椅子に揺られている人も少なからずいます。「何がそうさせたのか?」をウヤムヤにしてはならないと、私は考えます。今回は、テーマが錯綜して混迷しないように「一部分」のみ記述して、次回に書きます。(今度こそは、間もなくには掲載することを約束します。)
ソヴィエト(ロシア)における【マルクス=レーニン主義】(スターリン主義)とは煎じ詰めれば「国家社会主義」です。その具体的な〈経済政策〉および〈権威主義〉的性格という点は、実は「ファシズム国家」における【帝国主義的全体主義】といふものに酷似しているといえます。
※誰がマルクスを「神」のように仕立てていったのでしょう。19世紀、多くの人々がマルクスに心酔して自分もその一部になりたいと(同一化)、行動の幻想を持ったに過ぎません。
マルクス当人こそが、このディレンマに苦悩していたのです。1844年『経済学・哲学草稿』において「人間の本質」について述べているのですが、そこでは「人間性」という概念を使用して「疎外されない仕事」について、>「人間性に最も相応しい条件下にあり、かつ人間性に最も価値ある条件下の一つだ」と云いながら、他方で、人間が歴史的過程において自己創造することを強調し、ある個所では人間の本質は彼らの住む「社会全体の調和」以外での何ものでもないと書き、「決定論」として人間の〈自己〉を規定しています。
将来は過去によって決定され、ある出来事は起こるべくして起こったと(決定論)、「歴史」には不変の進路があるかのように説明しました。つまり、非歴史的・非進化的概念に屈服することを肯じなかったのは明瞭ですが、定義づけることができないまま曖昧で矛盾ある表現にとどまっています。また、マルクスは、政治に対する経済の優越を指摘して「近代の国家権力 Staatsgewalt は、全ブルジョア階級の共同事務を処理する委員会 Ausschuss に過ぎない。」というかたちで主張しています。
天皇を敬うということを通して天皇を「機軸」に復興させたい
歴史修正主義者は、ナショナリズムを再興するという明確な目的を掲げて執拗な探究を続けていますが、日本では明治以来、あらゆることが用意周到に「計算と洞察」されて実施されています。例えば「祝日・祭日」を戦前・戦後で比較すると実に分かりやすいのです。
ニッポンの〈裏の力〉とは地下に鉱脈をつくるように、戦前から変わることのないメカニズムで営々と続いてきたと明確に理解できます。ここに一部分を書き出しますが、どうぞ、読者の方も調べてみてください。
・3月20日21日『春分の日』―【春季皇霊祭※歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式。宮中祭祀
・4月29日『みどりの日』――【天長節】4月29日 ※昭和天皇誕生日
・7月20日『海の日』――戦前「海の記念日」※真珠湾攻撃で対米英戦争を開始した1941年7月、「徹底的なる戦時態勢を必要とし」明治天皇巡航から横浜港に帰った7月20日を「海の記念日」とした。
・9月23日『秋分の日』――【秋季皇霊祭】※歴代天皇や主たる皇族の忌日を春と秋に纏め奉祀した。宮中祭祀
・11月23日『勤労感謝の日』――【新嘗祭】※天皇が五穀の新穀を天神地祇に進め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。宮中祭祀。
・2月11日『建国記念日』――紀元節 ※かつて神武天皇が即位した日を日本の紀元節として祝った。
安倍晋三首相の『戦後70年談話』は、8月14日に〈時〉を合わせて行われました。これは、昭和天皇の判断を仰ぎ『ポツダム宣言の受諾』を決定したのが8月14日だったからです。
まさに、安倍首相【戦後70年の談話】とは、ひたすらに欧米に向けて発せられたものであり、とりわけアメリカに最大限の配慮をもってなされたものでした。これは、アメリカの指南も受けたものと思われます。
2015年4月、安倍晋三総理は、「米国連邦議会上下両院の合同会議において演説」を行いましたが、それは4月29日「昭和天皇誕生日」でした。実に巧妙に〈時〉を選びました。日本は、午前0時を過ぎて暦が4月29日となったのですが、その時、日本じゅうが〈夜の帳〉の中に眠っていました。
「権力者」は、共犯者を多く作り、かつ自らがこの体制を望んだのだという共同幻想を作るのに躍起になって努力するものなのです。
高邁であるかのような振る舞いに、時宜を得ない偽りの称賛
【戦後70年談話】とは、相対的に摩擦のない〈合意された〉文章は、練りに練り上げられたものでした。
「否定」を正面から凝視して、巧みに転移させるために、あえて両義的曖昧性のなかに身を置いて「中庸」を演じて見せたのです。〈4つのキーワード〉―「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「おわび」の4つさえ盛り込まれていたならば、国際社会は評価せざるを得ないと踏んだのでしょうか?
【談話】始まりの早々に、以下があります。
>「その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」
過去の欧米列強の植民地争奪戦をあげて、日本の〈侵略〉は止むを得ないものであったと矮小化することから始まっているのです。そこには誠心の反省が伺えません。何と、日露戦争を自画自賛しているのですから閉口です。
日露戦争とは「朝鮮」の領有をめぐって日本とロシアの間で争われた帝国主義戦争でした。日本の侵略戦争「日清戦争」(朝鮮の植民地化)後、三国干渉が発生すると、日本中に臥薪嘗胆(がしんしょうたん)というスローガンが広がって、日本はいよいよ植民地争奪戦に野望を膨らませていったのです。
アメリカの〈ポーツマス〉で講和条約が締結されたのですが、結果、「韓国」は事実上日本の植民地になることが決定づけられました。>「勇気づけました。」とは、盗人猛々しい強盗の論理です。(たしかに、日露戦争終結のために伊藤博文はアメリカに深く頭を垂れてはいましたが。)
※臥薪嘗胆(がしんしょうたん)とは、復讐のために耐え忍ぶこと
>「第2条 露西亜帝国政府ハ、日本国ガ韓国ニ於テ政事上、軍事上及経済上ノ卓絶ナル利益ヲ有スルコトヲ承認シ、日本帝国政府ガ韓国ニ於テ必要ト認ムル指導、保護及監理ノ措置ヲ執ルニ方リ、之ヲ阻害シ又ハ之ニ干渉セザルコトヲ約ス。」
『談話』で、強調されたのが【寛容の心】でした。
>「寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。」
日本が復興できたのは、
>「先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。」
戦中「敵」として戦火を交えたアメリカが、戦後、日本の再生のために(実はアメリカの極東政策のためだったが)尽力してくれたことに感謝しているようですが、日本は、無辜の人々が「原子爆弾」で苛烈に残忍に虐殺されたにもかかわらず、なぜ?「水に流す」といえるのでしょうか?
アメリカは『力の均衡』の扇の要になっていると感謝されていますが、朝鮮・韓国からみれば明らかに【南北分断】という最大の犠牲を払わされてきたのです。朝鮮半島は自らが選んだのではありませんが「地政学的位置」のために東北アジアを支配しようと企む外勢の『台風の目』でした。日本の植民地支配から解放された後も「全地球的規模の台風の目」となっています。ナショナリズムが織りなす狂信的イデオロギーと反理性的「核兵器万能主義」に挟まれて艱難辛苦をくぐって生きているのです。その犠牲者に未だに国家として謝罪しないままで、米国、豪州、欧州諸国に謝辞の言葉を述べています。
安倍首相は、国際社会が注目する【70年談話:安倍晋三首相談話】のために長い歳月をかけて、周到な用意と狡知によって「政府の下僕」を選んだようです。
彼のために働きたい知識人、大学人、ジャーナリストの中から選りすぐりの「智謀家」を選んだのでしょう。飼い犬のような彼らは、狡猾な一策をもちよって「言葉をひとひねり」しては、練りに練り上げた文章を作り上げたのです。
最も悪しき者が、ヨリ効果的に支配者の座を占めた
ヒットラーは、大衆を蔑視しながらも「大衆宣伝」に心を砕いたのですが、「国会中継」を観ていると、時に演説する安倍首相の横顔に「我が闘争」が重なることがあってゾッとします。
第一次政権時の過ちから教訓を得たものか、「健康」と権力に恵まれた成熟しきった男であるかのように振舞い、片時も自分の威厳を忘れたことがありません。その尊大な態度は、あたかも国王にでもなったかのようです。
飼いならした「犬」の中から選りすぐりの〈下僕〉に高位の地位を与えましたが、〈下僕〉たちは主人が気に入るように自らの性質を最大限に増大させて流動させていきます。本人でさえも自身の変身のありように、ふと、我には〈天賦の才〉があったのかと勘違いし、が、またたく間に我に返って不安になったりします。が、今では、その心地良さが染み込んでしまって〈永続性〉を求める衝動が抑えられなくなってしまいました。さて、この人物は誰でしょう? ※注2.下記
家畜らはよく飼いならされていますが、時には命令に従わない者もいるものです。そんな場合、主人は僅かな餌を与えて躾しようと試みるのですが「変身」練習の熟達が遅いとなれば、早々に群れから引き離して放ってしてしまいます。さて、この人物は誰でしょう? ※注3.下記
鋭い切り口、洒脱な評論のニュースサイト【リテラ】では、次々と速報しました。
『安倍首相の戦後70年談話は日米合作だった! 騙されてるのは日本国民だけ、海外メディアは二枚舌見抜き大批判』
http://lite-ra.com/2015/08/post-1406_4.html
・アメリカ『ワシントン・ポスト』→「日本の指導者、第二次大戦で謝罪に至らず」
・アメリカ『ウォール・ストリート・ジャーナル』→「日本の安倍首相は第二次世界大戦における直接的謝罪の手前で止めた」との見出しで報じた。
・アメリカ『ニューヨーク・タイムズ』→「安倍首相は、歴史を“誰も非難できないような種類の歴史的ツナミ”として描くことで、日本の責任を希釈化した」(ボストン大学の政治学者・トーマス・バーガー教授のコメント記事掲載)
・イギリス『英ロイター通信』→安倍首相が「彼自身の新しいおわびは表明しなかった」
・イギリス『英国放送協会(BBC)』→独自の新たな謝罪は示さなかったと分析。
・イギリス保守系高級紙『タイムズ』→安倍談話についての社説を掲載。「恥ずべきほどまでに、(戦争中の)日本の罪ときちんと向き合わなかった」と論評。また、「原爆忌や終戦記念日で、日本は戦争の加害者というより、被害者であるという神話を維持している」。
・フランス『ル・モンド』→「安倍総理大臣個人として、過去の侵略や植民地支配に対する謝罪を一切行っていない」と指摘し、安倍首相が「彼自身の新しいおわびは表明しなかった」と批判。
・フランス『リベラシオン』(電子版)→昭仁天皇の戦後70年における本心を紹介。それと対比させる構成で安倍首相を「国家主義者」として批判的に談話を報じた。また、仏のメジャー紙「ル・モンド」は、「安倍総理大臣個人として、過去の侵略や植民地支配に対する謝罪を一切行っていない」と指摘している。
http://lite-ra.com/2015/08/post-1406_4.html
ナルシシズム的な歪曲と悪だくみ
政権の悪だくみに加担して、人々を欺いてきたのがマスコミです。国民の知る権利に奉仕するのが「報道」なのですが、公共圏に君臨しているマスメディアは、既に現実が形成せられたということにおいて是認することが決まっているようです。
公共放送NHKは、安倍晋三首相肝いりで籾井勝人氏が会長に就任して以来、ますます目を覆いたい耳を覆いたいほどに「安倍色」に染まってしまいました。時事問題の場合、結局はいつでも〈権力の意向〉に沿って議論の骨組みが与えられます。
テレビニュースの人気キャスターは、日々「出来合い」のかたちにまとめて、〈うやうやしい〉卑屈なまでの解説をアナウンスをしています。彼らは、操作によって視聴者を騙すだけではなく、自分自身をも欺いているのですが痛痒無いようです。
安倍首相は、ひじょうにマメな性分であるそうで、常にアンテナを張り巡らせて〈内容の偏り〉と感じると、さり気無く「声」を掛けるのだそうです。「観ていますよ」と。同調圧力です。果ては、幹部を呼んで指摘までするのだそうです。今では、安倍政権の世論操作・イデオロギー操作に国民も慣れてしまったようです。
『反安倍首相の論客が干される TV局が官邸の監視にビビる現状』
http://www.news-postseven.com/archives/20140318_246355.html
元へ。再び【戦後70年安倍首相談話】から引用。
>「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。」
この一年間余り、猖獗の問題にまでなって国際社会でも非難轟轟に受けた「慰安婦」問題を、かくも軽々と振り払ってよいものでしょうか?
去年も、今年も、無念のまま元「慰安婦」が亡くなっています。乗り越えがたい苦悩、耐えがたい貧しさを顧みなかったのは誰だったのでしょう。国際社会の論評も指摘するように、1991年以来、捨て身の問責を続けてきた韓国の「慰安婦」への謝罪が見当たらないとは慙愧に耐えません。
あの戦場という狂気の迸りのなかで、何度も殺された「眼」は、普通の人々の眼差しの場からもぎ離されてしまって以来、もはや裏返されたように〈ひきつり〉ながら、こちら側を観ています。絶えず限界をみながら、にもかかわらず、超えて、侵犯して進む以外にはなかったのです。
苛烈に張りつめた焔のなかで、無慈悲なまでに痩せ衰えて、死ぬほど疲れた顏で、息も絶え絶えになって戻ってきても、帰る場所は奪われていました。誰が奪ったのですか?
「慰安婦」は、全身全霊を賭けた〈精神の切尖〉で、日本の蛮行を〈ひと突き〉したのです。その眼差しの奥にある「明瞭な知覚」というものに何も学ばなかったのですか?
さも邪心がないように、そうして品格よく振るまう知識人は、結束して威圧的にさえすることがあります。そのような知識人の表面を、私たちは掘り崩していかねばなりません。
FB上で、思いもかけずに「仄かな明かり」に遭遇することがあります。絶望し悲嘆にくれるなかで一筋の希望を見たとき、日本にも「良心」が確かに息づいていると知って、私も諦念してはならないと励まされます。今日は、西の方から届いた瞠目する記事をご紹介させていただきます。
『安全保障関連法案に反対する九州大学有志の声明』
https://sites.google.com/site/kyudaiampo/seimei
『安保関連法案に反対し、衆議院本会議における強行採決に抗議する西南学院大学教員有志の声明』
注(1)「声低くして」とは竹下登元首相の言葉です。竹下は、胸に『われ万死に値す』を抱きつつ、この人物こそが「なるべくして総理になった」のだと思わせるほどの〈糾合・統合〉を図って自民党王国を立てるために突き進みました。(『知と情-宮澤喜一と竹下登の政治観』御厨貴著)
「声低く語れ」とは、情を重んじる〈政治システム〉で如才なく管理していくためのキーワードだったようです。そもそもは有名なアメリカニクソン大統領が演説(1969年11月3日)、>「ノイジー・マジョリティには従わず、サイレント・マイノリティに従う」との名言からのパクリでした。ニクソンは、ベトナム戦争に反対する学生や市民の【反戦運動】をノイジー・マジョリティ(声高な少数派)と揶揄したのです。が、現実には「ニクソン訪中」というショックが世界を圧巻し、そうして1973年、ついに「ベトナム戦争から完全撤退」に至りました。
※注2. この人物は、あまりに有名。ずっと後には、日本の政治史の欄外に「地味にシャドーワークに徹して地歩を固めた○○○氏」と記されるかもしれません。安倍晋三が最も信頼する側近の1人といわれ、その屈指の情報収集能力、フットワークの軽さは人々を驚嘆させました。
※注3. この人物は、早晩にも忘れ去られるのですから、名前を記すことにします。武藤貴也氏です。自民党の色というものを如何なく見せてくれました。