mopetto2012のブログ

朴裕河氏が『帝国の慰安婦』を著しました。私は、そこに差し出された「新しい偽善のかたち」から誤謬の一つ一つを拾いつつ、偏狭な理念に拒否を、さらなる抑圧に異議申し立てをしていくものです。

朴裕河『帝国の慰安婦』批判 (3)非歴史的な「ジェンダー誤答」           

鏡のように静かな湖面の底深くには、不気味な〈てい泥〉が堆積しています。その堆積物に、〈死屍累々の腐食〉という本性が隠されているとすれば、どうでしょう?

私は今、その静寂にあえて小石を一つ投げ込んでみようと思います。

 2015年2月23日、NHK【ニュースウォッチ9】(総合1)にて朴裕河氏の会見の模様がクローズアップされました。

(日本記者クラブが、大沼保昭明治大学特任教授と朴裕河世宗大学教授を招いた記者会見。『ビデオニュース・ドットコム』に会見全編の動画がアップ。2時間17分)

 やはり、品格よく穏やかな話しぶりです。>「どちらかが正しいということはないと思います。」と〈友愛〉を求めていました。多くの視聴者が魅せられたことでしょう。

しかし、私は、そこに目立たずに偽装された言葉を聞き取ってしまい、目を覆いたい耳を覆いたいと…唖然としてしまいました。

 くしくも2015年2月4日、朝日新聞文化欄に朴氏のインタビュー記事が掲載されていたのです。タイトルは、「慰安婦:日韓のもつれ解くカギは」であり、副題として「個人の痛み 互いに想像を」とありました。

 >「日本語版では、痛ましい経験をした慰安婦一人ひとりが、顔も個性も異なる人間だったことが伝わるよう、表現に心をくだいた」と言っています。また、>「個人の痛みや、加害者としての苦痛を想像してみると心に余裕ができるはず」とも言っています。

 何という器用仕事でしょう!『帝国の慰安婦』本文にて、問題ありと指摘された箇所が、さり気なく微妙に変更されているではありませんか?今般の『帝国の慰安婦』批判を検討した上で、綿密に狡猾に〈すり替え〉られているのです。

それをそのままで受取るとは、あまりに浅慮極まりないではありませんか。私は、急きょ、用意していた原稿を書きなおすことにしました。今回は、流儀も変えてみたいと思います。

 今回、私は、熟慮の末に「歴史資料」によらずに、[ジェンダー・ポリティクス]について、私の言葉によって書こうと思います。それは、私なりに物の本から学んで考察し分析したものですが、読者の「主観性への呼びかけ」を目的とするためです。この行為は、無分別を仕掛ける噴飯ものと誹られそうですが…今日の日本で「国家主義者」が、反動的パラノイア的な重圧のなかで、(色めき立ったように)口角泡を飛ばして「慰安婦」を凌辱しているのです。そこに精神の切っ先で矢を立てるためには、私自身も咆哮しなければなりません。なお、それらの根拠については別立ての記事にて注釈させていただくつもりです。今回ここで、ひとつひとつを学際的な流儀によって注釈していくとすれば、主張が腰折れてしまいます。私は、撃たねばならないのです。

 1989年、多くの人々の幻想が瓦解していきました。そもそもスターリンがもたらした逸脱は明白になっていましたし、悲劇的であり甚大な損失から砕けてしまっていましたが、とはいえ、危機から脱出するための創造的な仮説を誰も提出できずにいました。「何かが砕けてしまった」(アルチュセール資本論を読む』)とき、偶然的要素である〈外部〉〈背後〉〈予測しえぬもの〉がどっと押し寄せてくると、マルクス主義哲学は、ただ耐え忍ぶ他はなかったのです。

アルチュセールは、「社会主義は糞だ」と叫びながら、にもかかわらず「あらゆる可能性のないところで」革命的実践を展開していくことの意味を問い続けました。「どこへも通じない道の中の道で」「いかにして抵抗は可能なのか」を問い続けて、さて、現実にはやはり「マルクスへ帰って行こう」となったのです。「ポストモダン」は、とかく日本ではひとくくりに語ってしまわれますが…私は、隙間の哲学として読み、多くを示唆されてきました。資本主義経済の隙間で「身体」とともに推論して、「市場関係の支配していない」地帯に赴いて全体性に対抗し、大衆運動に身をゆだねようというものです。(この論は、ミッシェル・フーコーと同様である。)つまり、今や「大衆」の表現のための政治闘争は新たな敵に直面しているのだから、そのイデオロギー的力に拮抗する現実的足場を固めて遂行されなければならないのだから、ここでは「主観性」への呼びかけは誤魔化しなどではないと言明しているのです。

朴裕河著『帝国の慰安婦』は、構築主義者の装いを見せますが、朴氏のとらえる「国家」とは、社会だけが権力に絶対的に吸収される場であるとしているのですが、それは矮小化です。ポストモダニズムの表層をさらっているにすぎません。

 忽然と現れた「慰安婦問題」       

1990年、まどろみを破るように「慰安婦」が世界を告発しました。儒教の国「韓国朝鮮」では、植民地支配から解放された後も、女に「つつましさ」を強いるのであり、「慰安婦」は無理矢理、諦めさせられ忍耐させられて引きこもる以外に道はありませんでした。

ところが、忽然と現れた「慰安婦」は、貫き通すような切っ先の言葉で、「お前は何者か!」「謝罪せよ」と訴えてきたのです。その眼差しは、敗北さえも闘いとるというような峻厳なものでした。

慰安婦」の告発は、否が応にも、日本国の「戦争の記憶」を喚起することになり、多くの日本人はうろたえ、たじろぎ、立ちすくんでしまったようです。ましてや〈戦争を知らない世代〉の多くは「記憶にはない過去」を償うなど理不尽な要求であると反発しました。(突き崩されるように悩む人も少なからずいました。)

ところで、また一方で、すっかり衣替えをすませてしまった戦争体験者の中には、「彼方から来た声」に怯えるあまり、逆に被害者意識をもって反撃していく人々がいます。身を守るために、潤色されたパラノイアの物語を次々とつくっては、毒を塗った上着を着込んで今日も演説しているのです。これに触発されたように、不満を鬱積させてきた戦後世代も、色めき立ったように口角泡を飛ばして、今日も「慰安婦」を凌辱しています。

慰安婦」が容赦なく拒否しているのは、このような〈歴史〉の記憶喪失者を装っている日本人です。

半世紀近くも遺棄されたままだった「慰安婦」が、死体になってもなお灰のなかから呼びかけてきます。

 「忘れないでください」

>「死してもなお曝されている無数の他者がいます。」
>「読むだけでは十分ではありません。理解し、吸収することも十分とはいえません。重要なのは、用心深く見張り、そして目覚めていることなのです。」(『ブランショ政治論集1958-1993』P285・283「忘れないでください」)

>「この過去に発せられた声のかすかな残響を聴き取る。『あらゆる変化の中でも最も目立たないこの変化を、歴史的喩物論者はよく知っていなければならない』」(『ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味』P648)

歴史修正主義者が、きれいさっぱりと忘れて胸の奥深くに鎮めて隠してきた過去が、瘡蓋を剥がされるように呼び起こされてしまって、彼らは心底怯えているのです。死に曝されている無数の死者たちが復讐にやってくるのではないかと、まさかの幽霊を狂信してもいるのです。

 非歴史的なジェンダー誤答

『帝国の慰安婦』では、しばしば文学作品を引用しながら、セックスとジェンダー双方の「表出」と「性的欲望」についてコメントしているのですが、それらは、一隅の資料からの独善的な解釈が多く、その再構成の作業が主観的すぎるので私は同意しかねます。その多くが『非歴史的なジェンダー誤答』と指摘しなくてはなりません。

あるアニメーション作品からの引用であるとありますが、作品名が具体的に示されていないために不明ながら…『帝国の慰安婦』から、P151から、そのままに引用します。

P151 >「証言では、自分にアヘンを打ったのは『主人』だったとしているがアニメーションでは、…略…『軍人』だけが前景化しているのである。」

>「阿片は、身体の痛みをやわらげる一方で、時には性的快楽を倍加するためにも使われていた。」

P152 >「しかし、そのような阿片使用の元の目的は消えて、ただ日本軍の悪行の証拠としてのみ位置づけられる。証言を加工した二次生産物が、慰安婦のありのままの生の姿をますます見えにくくしている最近の代表的な例といえるだろう。おそらく、2012年に韓国で慰安婦の公式名称を『性奴隷』にすべきとの議論が出たとき、本人たちが拒否した理由もそこにあるはずだ」

 何という邪推でしょう。フィクションとヒストリー、空想的な物語と真実を綯い交ぜにしています。ここには、批判的に吟味しながら、歴史に関する推論を詰めていこうとする姿勢がまったく見当たりません。ことさらに阿片に溺れる怠惰な姿を強調していますが、ここに先入観・偏見からの抜きがたい差別意識を読むことができます。

著者は、阿片戦争】について把握していないのでしょうか?東アジアの近代は、中国とイギリスの阿片戦争に始まるといわれていますが、その仕掛け人が【ジャーディン=マセソン商会(怡和 洋行)】です。アヘン密売が本業ですが、大英帝国の典型的な「尖兵」的商社であり、「阿片戦争」への青写真を慎重に綿密に狡猾に書き、成功裏に勝利した後、在中国イギリス資本中、最大のものとなりました。イギリス東インド会社の最大の債権者でもありました。

マセソン商会は、さらに触手を伸ばし、彼らは、日本の明治維新に大きく寄与したのです。長州藩など討幕派に協力する一方(伊藤博文坂本竜馬への支援は有名な話)、幕府に対してしてはアームストロング砲、軍艦などの武器を提供し、莫大な利益を上げていたのです。その繋がりから、日本帝国主義は「阿片」を一つの道具としていたことは周知の事実。戦場で、もっとも虐げられていた「慰安婦」が阿片によって操作されていたとは自明です。日本軍隊と阿片とは縁の深いものであり、今日の日本の首相安倍晋三の祖父、岸信介は、上海を拠点にアヘンの元締めとして謀略と特務工作にかかわっていた人物〈里見甫〉と非常に親密な関係にありました。(注:里見は、満鉄出身の中国浪人として権勢をふるっていた。)>「岸さんは関東軍に対しては事前に手を打って摩擦や衝突の起こらないようにしたうえで,仕事を進めていくとやり方をとっていました。満州でも誰でもそうやりますが、岸さんの場合は、水際だっていましたね」(『昭和の妖怪-岸信介』(学陽書房: 1979

つまり、朴裕河氏のP151 ,152の記述は、一隅の資料から、一元的なものに固定化し抽象化してしまったための、重大な誤謬です。

 

 強姦する者の疑問の余地もない優越性

以下は、小説『蝗』田村泰次郎からの引用であるといいます。

P221、P222  >「小説の中の慰安婦たちは、強姦される前に『この車輌のなかで、夜ふけだというのに、狂ったように声をはりあげて歌っている』『同じ歌をいつまでもうたってい』たとされる。しかも、彼女たちは強姦されたあと、痛みに耐えかね、性器を露出したまま横たわっていたりもする。作者はその風景について『ふだん、彼女たちがそこを見せびらかすのは、男たちに対する挑みかけ、そして、もっと正確にいうならば、彼女たち自身に対する、そのことに羞恥心を覚えることに対する抵抗、そしてそうすることによってしか、生きられない自分たちの生き方を、すすんで忘れようとする積極的な身ぶりがはたらいている』と書く」

作家[田村泰次郎]は、慰安婦を異様なるものとして強姦するエロティシズムを描きたかったのでしょうか?小説とは、その表現は一つの雰囲気、背理的な暗示の世界であり、象徴的に比喩的に語られる世界であるのですから、田村泰次郎氏が文学として著したのであれば固有の世界です。しかし、朴氏は、これを歴史の証言でもあるかのように並列して、そうして解釈しているのです。

朴氏には歴史意識が欠落していて、そうして描かれる心象風景は〈社会の総体的な過程〉を媒介していないために、「慰安婦」の意識が表象されていません。その表現は、倒れた馬をなおも打つかのように、残酷に貶めることになっています。

戦場の「慰安婦」の位置について、まず認識したいのは、日本軍隊が、〈生殺与奪の権〉を握っているという絶対性のなかでの権力関係であったということです。「助けの無い」がどのように逆らうのでしょうか?

殺気漂う張り詰めた戦場で、それぞれが裡から迸る殺戮衝動にのみ突き動かされて勝手気ままに襲い掛かってくるのです。「慰安婦」は、絶対的な物量を前に無傷でいられる道理がありません。兵士は、支配するために、「慰安婦」を辱めて吸収しつくして、無力な状態に貶めていったのです。「狂ったように声をはりあげて歌」ったこともあったでしょう。それが、まだ生きているという証なのです。

慰安所」は自由の無い禁止づくめの空間であるが、与えられた特定の「しごと」だけは反復せよと命じる。しかも、その「しごと」は効率性が求められている。短時間で可能な限り最大量の「しごと」をせよと命じるのだ。

確かに「日本軍隊」は、「慰安婦」にほんの僅かな食べ物を与えた。しかし、それは憐みからでは毛頭ないのである。有益な用途があるうちは、「慰安婦」の養分を摂取しつくすまで「生かさず、殺さず」に味わいつくそうとしたまでだ。

 

 『戦場の狂気』―二重化三重化されていく「偏執狂的妄想」

無論、この屠殺場のような牢獄から〈逃走〉を試みる「慰安婦」も稀にはいました。が、しかし、脱出したと思った瞬間、すでに彼らに包囲されていることに気づかねばならなかったのです。(その《罪》は、懲罰されたり処刑されたりしました。)だから、何人も独力で逃走しようなどと謀反気を起こそうとしなくなっていくのです。(金学順さんが脱出に成功したとは知力と胆力があった賜物と思います。)

慰安婦」は、あらゆる疲労のなかで消尽してもなお、さらに「終わるために」、その日、その時を過ぎていかねばならなかったのです。ただ「生きる」こと以外には欲求を持ち得ません。「何のために」という目的も意味も放棄して、弄られてながら生きていかねばならなかったのです。ただ黙って不条理な死を待つよりも、生きるために最後まで足掻く方を選んだのと思います。 

小説『蝗』からの引用P221、P222を読んだとき、私は思わず震えてしまいました。私は、ここばかりは文字に起こしたくなかったのです。しかし、朴裕河氏の欺瞞を露わにするためには、その問題点を明らかにしなければと決意しました。ナイーヴな問題であるからこそ、緻密微妙に磨き上げて最善を尽くして書いてみたいと思ったのです。

《その場所に、私はいなかった。私は、その人ではなかった。》を噛みしめながら書いています。

 ここには、男の性欲による肉体への徹底的な操作があります。鬱積していたエネルギーを膨らませて、「日本軍兵士」は「慰安婦」を徹底的に凌辱しつくていったのです。ここには、凌辱された肉体を眺める男がいます。異形の肉体として描いて「寸断された身体」のように扱って凌辱しています。男は、生き残るために生きる欲望のために、飽くことを知らぬ情熱で官能の絶頂を貪り喰って(貪欲に燃え立つ攻撃で)女たちを征服していったのです。

 ギリシャ神話の中に、古今東西愛されてきた物語があります。宇宙の頂点に立つゼウス Zeus(ローマ名:ユピテル)は、動物の姿に頽落して女と交わり〈快楽〉を楽しみました。ここでのゼウスは、「獣の愛」の姿に〈快楽〉を幻想する男でしかありません。それは、支配されている最下層の存在に包まれた女が、支配者に征服される姿の描写です。雲に覆われるイオ、雨に凌辱されるダナエは、男の性欲にとって実にエロティックだというのです。それは、「死の欲動」です。束の間の同一性の危機です。この解体という危機のなかで欲動するエロティシズムをバタイユは、『エロティシズム』の性とは、男と女という(文化的につくられてきたジェンダー)境界の侵犯によって成立すると、見事に書いています。

(今回は、哲学を援用しません。哲学の一部を悪戯に引用しては混乱を招くと思います。遠からず、フーコーバタイユジュディス・バトラーフロイトドゥルーズ=ガタリ他を援用して、依然として飢えている〈動物的な力と情熱〉というものに新たな切り口を入れなければならないと考えています。)

以下に、少々、象徴的な表現を紹介させていただきます。

 ラカンは、>「同じ出来事の循環的反復、偏在的増殖、果てしない周期的再帰といった幻想、同じ人物の二重化三重化≫を偏執狂的妄想という」と言っています。また、異形の肉体を「寸断された身体」のように扱って凌辱するとは、「そこに去勢コンプレックス、女性嫌悪も潜んでいるかもしれない」と言っています。

 画家のダリは、>「偏執狂的現象とは…略…二重の映像をもつ広く知られた例の形象―形象は、理論的にまた実践的に、三重四重と発展されうる」と書いています。(『ナルシスの変貌』所収)

 

 戦場の狂気とエロティシズム

P223 >「〈ツカレ〉た身体を奮い立たせてまで、もう一度好きな男を求めずにはいられなかったのも、自分の身と心の『主人』―真の所有者たろうとした精一杯の身振りなのである。」

何という倒錯した解釈でしょうか?それは朴氏の妄覚というものでしょう。その男は、内心では「慰安婦」を〈取るに足らない〉物と考え、家畜と呼んでいたでしょう。性的なエロティシズム・快楽とは人間の本性のものです。人間とは、不可解な偶発的な事故によって孤独に死んでいくこともあり、深層心理において「死」の不安を向こうに見ています。だから、個体としての「孤独」「絶望」を打ち消したいと過剰なまでの欲望を持っているといえます。それは、ハイデカーのいう「死への先駆」という表現でも表されると思います。性交の快楽の絶頂のなかで限界の外に出ようとするとき、ヒトは一瞬、死の与える恐怖から逸れたように錯覚するのです。しかし、バタイユが何度も強調しているのは、

>「性行為の醜さについては誰も疑うもの者がない。犠牲における死と同様に、性交の醜さは不安に陥れるのだ。しかし不安が―〈パートナー同志の力量に応じて〉―大きければ、大きいほど、それだけ限界を乗り越える意識も強くなり、したがって歓びはますます高まるのだ。」(『エロティシズム』二見書房P210)と書いていますし、また、

>「ある意味では、純粋無垢な状態にある熱狂、といったものへと回帰するのでなければ、判断を誤ることになるだろう。」(『バタイユの世界』青土社P466)

と言っているように、男女の間に差別・抑圧の関係があれば歓びもなく、死の不安の〈乗り越え〉もないと言っています。私は正しいと思います。つまり、朴氏の上の解釈は大いなる誤解と言わねばなりません。

性的なエロティシズムは女にも男にもあります。戦場という殺戮の場であっても、「慰安婦」も生身の人間です。稀には束の間、一抹の夢を見たことはあったでしょう。また、戦場の荒野で自暴自棄になり、破壊を求める衝動が昂揚し、狂奔するまでに到ったこともあったでしょう。しかし、表情を歪め微かに漏れたその苦悶の嗚咽には、他者には理解できない意味深長な言葉が練り込まれていたに違いありません。

 償われるべき被害とは何か!

>「我々は元慰安婦をまるで聖女や闘士のように扱うが、彼女たちもやはり血の通った人間であり、昨日までとは考えを変えることもあるし、さまざまな欲望も持つ一人の「個人」だとまず理解しなければならない。」

ここで云う〈欲望〉とは何を指すのでしょうか?慰安婦」は、これまで、既存の「国家の物語」の土俵に、一度も入れてはもらえなかったのです。にもかかわらず唐突に脈絡もなく、なぜ「個」として尊重されているかのように書くのでしょうか?朴氏は、「慰安婦」が他人と対等な存在として認められるべきとしながら「慰安婦」が他人から認められたいと、気概をもって闘い、そうして成長したプロセスを素直には喜んでいないように伺えます。むしろ自分の優越願望を超えるのではないかと畏れているようにさえ見えます。皮肉を言っているのではありません。朴裕河氏の貧弱な人間理解に暗澹としています。

他者からの承認を求める人間の〈欲望〉とは、本源的に不均衡をはらんでいるのであり、優越者に追いつこうとします。だから、「慰安婦」と支援の人々は乗り越えのために、時には過剰なほどの膨張をしても世論に訴えようとしたのです。まさに、それは像の足に挑む蟻のごとくの格闘です。その足跡に、あちらでもこちらでも泥を投げつけています。

慰安婦」は、戦場で弄(なぶ)られ破かれた肉体を引きずっても、ようやく生還してきたけれど、世間は容赦なく石つぶてを投げつけてきました。半世紀近く、忌まわしい政治のために危険に曝され遺棄されたまま、その後、2015年になっても、なお「要求」は聞き届けられていないのです。「憲法」で保障されている「個」として尊重されるのならば、喰い潰された女の取り消せぬ日々は、どのように償われるのでしょうか?

朴裕河教授を罷免せよ」との甚だしく凄烈な突き上げは、止むに止まれぬ思いからのものでしょう。穏やかに人情に潤う生活を楽しむ人々には理解不可能な叫びであると思います。

 

「悪い債務者」が惹き起こした損害について

罪人の〈惹き起こした損害〉は、刻印されずに外されたまま長い歳月を過ぎてきたようにみえましたが、しかし、その罪人は内心に「良心の呵責」という葛藤を抱き続けることになってしまったのです。

ところで、「慰安婦」が受けた苦痛というものを熟考するならば、罪人の苦しみによって支払われる〈交換〉物などもとより無いのです。(なぜなら、罪人の受けるべき苦痛に等価物など無いのですから。もはや、何かによって償われるものではないのです。)

では、なぜ?にもかかわらず、「慰安婦」たちはなおも謝罪を迫ってくるのでしょうか!

それは、お互いが救済されるためなのではないかと思います。慰安婦」は、記憶喪失者を装っている「悪い債務者」であるとしても、彼らの葛藤そのものがシグナルを内在させているのだと慧眼しているのだと思います。実は、慰安婦」たちは、「赦す」用意をして待っているのではないでしょうか。

 「互いに欺かず、争わない」

勿論、それは、儀礼的な形式としての謝罪ではありません。かつて18世紀前半、雨森芳州が『交隣堤醒』に説いた精神を、堅い芯にして外交するということです。

>「誠信の交わりということを人々は言うが、多くは字義をはっきりとわきまえていない。誠信とは実意ということであって、互いに欺かず、争わず、真文をもって交わることこそ、まことの誠信である。…略…」

日本人は敗戦によって戦争から解かれましたが、それは解放されたというよりも、たんに枠を外されたという感慨に浸るばかりだったので、根本的な意識改革には及ばなかったようです。

朴裕河氏は、「慰安婦一人ひとりが顔も個性も異なる人間だったことが伝わるよう、表現に心を砕いた」(2015年2月4日『朝日新聞』)と話しながら、実際の著述は、一元的なものに固定化し抽象化してしまっていますし、また、その再構成の作業は主観的すぎます。とりわけ「挺対協」、「ナヌムの家」に対して先入観から強く批判しているのですが、それはもはや偏見の域であり問題であるように見えます。元慰安婦たちが、この2014年7月、「朴裕河教授を罷免せよ」と告発した理由が分かったような気がします。

ところで、私は、オーラルヒストリー、また構築主義者の「歴史」の読み方に先入観、反感を持ってはいません。

ことに、川田文子氏が著した『赤瓦の家』は優れたオーラルヒストリーであると思います。寡黙な日射しのなかに呼び寄せるように「証言」を丹念に聞き取りながら、仮の選択と仮の解釈をしつつ重ねてその解釈の過程を検証して分析して「事実の客観的編纂」にまで仕上げています。それは、歴史的背景が唯物史観論によって書かれているためでしょう。情緒的な揺らぎがありません。

 最底辺に追いやられて呻吟している人々を無視したまま、果たして「和解」は可能でしょうか?この期に及んで遺棄してしまっては、その社会は依然として殺戮の歴史を懐に抱いたまま抑圧を宿すことになってしまいます。