mopetto2012のブログ

朴裕河氏が『帝国の慰安婦』を著しました。私は、そこに差し出された「新しい偽善のかたち」から誤謬の一つ一つを拾いつつ、偏狭な理念に拒否を、さらなる抑圧に異議申し立てをしていくものです。

朴裕河『帝国の慰安婦』 批判(4)歴史修正主義者の「良心の呵責」と「罪責感」

ポストコロニアル研究は、常に問題含みであると思うのです。それは、現代史を扱う難しさにあります。「すべての選択がまだ可能であった時期」を人々が覚えていて、人々は、もしかすると別様に起こったかもしれない「偶然」を思い描いたりするからです。つまり、純粋に、感情的で非歴史的な反応がついてまわることになります。

 ことに、ジェンダーとしての「慰安婦」問題は、あまたの未解決、ナイーヴな問題を多々含んでいますから、誰もが納得できるように説明するとは至難の業であると思います。

朴裕河氏は、日韓の間に、理想的・調和的な判断を与えようとして『帝国の慰安婦』を著したのでしょうか?しかし、「共に/そして」とは、理論構築無しで〈ファッション化したパフォーマンス〉によって得られるものではありません。

記事Ⅰ・Ⅱ・Ⅲで語りましたが、『帝国の慰安婦』に記述された「歴史」の誤謬は、抹消線をほどこすぐらいでは隠せるものではないのです。そして又、迂闊でしたとのエクスキューズによって許容されるものでもないでしょう。何度でも繰り返しますが、日韓の歴史問題は、もはや火薬庫的争点になっているのです。国際世論までが賑やかに論説しています。そこへ、客観的な「歴史学」の証明、成果を無視して、過去を矮小化したり誇張したりして、あたかも〈審判者〉でもあるかのように登場してきては手厳しく批判されても、やむを得ないことであると思います。

 「帝国」をジェンダーや人種、セクシュアリティの動因によって分析したかったようですが、本書に、>「日本軍のみを慰安婦の加害者として特殊化したことは、運動に致命的な矛盾をもたらした。」とあるように、そもそも「戦争の世紀」20世紀のポスト・コロニアリズムを読み違えているように思います。

 今日、なぜ?世界は「慰安婦」問題に括目するのか!現在、日本は弁護の余地もないほどに追い詰められています。

今回もまた、誤謬に矢を立てて切り込んでいくことになりますが、それは決して朴裕河氏を貶めたいからではありません。『帝国の慰安婦』の波紋こそは、日韓の間に横たわる溝の深さを示すものであるために、これをターゲットにして日本帝国主義」の真相を暴かねばと考えるのです。「異なる言説」であっても互いに交渉して、相互に揺さぶりあいつつ、新しい着地点を見出したいと願っています。

 朴裕河氏は、日韓双方の対立する主張を単純に並置して、喧嘩両成敗のように「どっちもどっち」と言ってしまっているように見えます。それでは、まるで「記憶の暗殺者」のようではありませんか。理非を問わないで「和解」せよとの勧めは、被害者からみたとき、不条理であり納得できるものではありません。

〈暗い谷間の時代〉―加害者としての苦痛

前回述べましたが、朴裕河氏は、2015年2月4日、朝日新聞「文化欄」インタビュー記事において、

>「日本人も国家の戦争に協力したが、結果として多大な犠牲者を出したのは事実。個人としての痛みや加害者としての苦痛を想像してみると心に余裕ができるはず」応えていました。

 ところで、2014年10月21日、朝日新聞「時事小言」にて、国際政治学者藤原帰一氏が、「犠牲者の記憶が隠す事実」(サブタイトル『戦場を知る責任』)と題して論説していました。文中に

>「すべての戦場で飢餓寸前の状況が生まれたわけではないが、日本軍の兵士が、そして慰安婦が、数多くの戦争のなかでも例外的な極限状況に置かれたことは間違いない。戦争には、加害者と犠牲者があるとしても、それだけで戦争を捉えることには間違いがある。自分の意に反して戦場に送られた者が戦争で暴力を行使するとき、加害者は犠牲者でもあるからだ。」

と書いてありました。まるで朴氏と藤原氏は共振共鳴しているかのようです。

しかし、ここには陥穽があります。15年戦争における植民者と被植民者は、関連してはいますが、それぞれの二つの要素は均衡を欠く異質なものなのです。にもかかわらず、恣意的に一つの網をかけて意味を飛躍させています。

 記憶にはない過去の「罪」を贖えと非難されるとは、闇の中から不意に腕を掴まれるような恐怖であるかもしれません。

 ただ、朴氏、藤原氏の見解には一理あるともいえます。家永三郎先生でさえも以下のように書いています。

>「軍人・軍属について言えば、全てが被害者であるとはいえない。…略…戦死軍人軍属の大多数は国家に対しては被害者と見てよいだろう。…略…兵士たちは、敵捕虜や非戦闘員に対してしばしば残忍な加害者としての姿を示すが、他方、大本営ないし上級指揮官の無謀な作戦計画のため悲惨な死地にかり出されて死んでいくという被害者としての側面がより広範にみられるのである。」(家永三郎『戦争責任』:岩波現代文庫P201,202)

 しかし、ここで注意を促したと思います。〈国家権力との関係において〉は、被害者の側面あると区別して書かれているのです。実は、前掲書『戦争責任』P51では、アジアの国々、「被侵略国」「被占領地」に対しては、

>「日本国家は国際的に法律上・政治上・道義上の責任を免れない」(同上P51)

 と明言しています。歴史を端折ることなく、詳らかに拾い出し「事象」を検証するならば、日本国の戦争責任とは何かが現われてきます。ミッシェル・フーコーは、歴史とは、経験的諸領域の基本的存在様態であって、知の空間においてその出発点となるものであると言っています。

>「〈歴史〉は、われわれの記憶のなかの、まさしくもっとも博識な、もっとも知見ゆたかな、もっとも明敏な、そしておそらくはもっとも雑踏した領界であるが、それはまた同時に、あらゆる存在がそこから実在にまでやってきて束の間のきらめきをみせる、その基底でもあるのだ。略…〈歴史〉は、われわれの思考にとって回避しえぬものとなった。」(ミッシェル・フーコー『言葉と物』新潮社 1974P239)

 今日では、日本で名声のある知識人、藤原帰一氏までもが堂々と、>「加害者は被害者でもあるのです」と、日本軍兵士の被害者性を挙げるに及んでは、日本の〈知の空間〉の未来を杞憂します。

日韓第三次会談1953年10月〈久保田妄言〉以後、時が変わり、場所が変わっても、日本の閣僚から「差別発言」が有象無象に飛び出してきました。昨年などは、安倍晋三首相の肝いりでNHK会長に就任した籾井勝人氏の妄言が世界を駆け巡りました。差別意識は、いつでもニョッキリと貌をみせるのであり、しかも攻撃的です。

ある場合においては「日本は謝罪しました」と弁解しながら、その舌の根の乾かぬうちに歴史の事実を捏造して韓国を侮蔑してきた日本の政治家の妄言。そのような「本音」を発言する政治家の言葉を通じて、《日本のネガティブな感情》は韓国へ伝わっているのです。過去にあった頻繁な感情の噴出を観るとき「何がそうさせたのか」と、思いを馳せます。

藤原氏が指摘するように、多くの日本人は、戦場を知らないのです。まさに、これは日本人の「宿命的限界」(丸山真男『若き世代に寄す』)のようです。そこで、私は、この場で読者の皆さんと共に戦場に降り立ってみたいと思います。

 世界の生ならぬ世界の死―「戦争と兵士」 

次々と積み上がっていく瓦礫の山を眼前に見ながら、戦場は自由の無い「禁止」づくめの空間でした。この戦場という狂気の沙汰は、人間を救いがたい耽溺状態に貶めていきます。軍隊の野営地は、冷酷・無口・無慈悲。あらゆる叫喚で満ちています。兵士は、いつ果てるとも知れない殲滅(センメツ)労働を命じられ、今日も、一段、また一段と前進していくのみです。軍隊の野営地は、監獄に似せてつくられました。(ここは階級社会序列が真価を発揮する)

戦慄するべき血にまみれた焔のなかで、兵士は、迷い麻痺させられて、身体は痩せ、顏は死の相貌です。兵士は、一か八かと繋がって凶暴性のデカダンスに溺れていきます。戦争は、もはや遂行されるのではなく、管理されているのです。

ここで著しく脱線してしまいますが、映画『人間の条件』から〈野営地〉の1シーンを描写してみます。

野営地の宿舎は四角形の防壁で囲まれ、窓はなく非常に狭く、与えられた空間は畳一枚分。

野営地は、監獄のように必ずといってよいほど非行者をつくり出します。自由が剥奪されているにもかかわらず、なおも兵士は、ぬかり無い可視性によって見張られているからです。それは、「良い訓育」(服従強制)の下、個々人の身体を調教しているといえます。義務ならびに軍記のすべての厳密な実践の強要は、制裁、懲罰によって秩序化されているのですから、兵士は自分をとりまくすべてのものに対して〈習慣的な怒り〉の状態に陥っているのです。だから、ここでは密告が横行します。この閉じられらた異常な空間にあっては、ばらまかれる腐敗によっても何がしかの安全が保たれるというわけです。

放蕩無頼な徒が、何かが気に喰わぬと…突如として顏に唾を吐きつけ、拳骨で殴りつけてきます。初め、上官は悠揚迫らぬ態度をとりつづけますが、辺りにも物欲しげな追従者を見つけると顎で許可を与えます。と、やおら〈ターゲットにされた餌食〉は、徒党を組んだ多数者に突き飛ばされ、蹴上げられ翻弄されます。傍観していたもののなかに汚物を投げつける者もいます。

自分の人生で抑圧された恨みの数々が甦ってきて、あたかも積年の敵意を一挙に噴出するように暴力をふるうのです。寝こみを襲われて、ひそかに扼殺されることさえあります。かと思えば、時に上官が許可し僅かの酒を与えるので、酩酊して、どよめき乱痴気騒ぎ。この騒乱のなかで厭世にたえきれず、深夜、便所で自殺した兵士がいました(その兵士は、しばしばターゲットにされてて獣たちに惨たらしく暴行されていました。)

とはいえ、自殺者を出しては兵舎の全体責任です。翌朝、知った一瞬、青ざめたものの、ここは眼界の狭い猜疑者と、ただ目先の利益に腐心する畜生どもが飼われている兵舎です。上官は一匹の蛆虫の死骸のように始末しました。これを見届けると、彼らは速やかに従順になり、互いに従属関係を注意喚起して、怠りなく日常生活に戻っていきます。それは、軍隊としての厳密な規則の下での「軍務」または「見張り」であり、そうして訓練に明け暮れていくのです。その規則とは、今や身体の肉に打ち込まれる釘であり、基盤の目のように縦横に走っています。

>「《命令は命令だ》命令はその本質上、決定的かつ絶対的である。」>「命令を与える者の権力は絶えず増大するように見える」
>「しかし、棘は命令を遂行した人間の奥深くに突きささり、そのままそこに留まっている。人間のあらゆる心理行動のなかで、これほど変化の少ないものは類をみない。命令の内容-その力、範囲、限界-は、命令が最初に発せられる瞬間に永久に確定されたのであり、そして、これは、あるいはむしろ縮小されたその正確なイメージは永久に命令受領者のなかに貯えられ、それが再び現れるまで、何年も何十年も埋没したままになっているかもしれない。」(エリアス・カネッティ『群衆と権力』下:法政大学出版局 

 錯乱した精神がその荒廃を忘れさせるためにいかに恐ろしい事をなしうるのか

実は、戦場では、権力者であっても近づく危険の兆候を感じているのです。何時?部下が逆噴射するように襲い掛かってくるかもしれず、内心、恐怖に怯えています。だから、怖気を振り払うためにも、誰かを見せしめのために殺すのは日常茶飯事のことでした。(その権力者は、犠牲者を処刑したあとで思いついたように罪状をでっち上げることができました。)

かつて人間の生活では野獣的であることは許されなかったのですが、戦場では煽り立てられて野性味を取戻し…次には、死刑を宣告された野獣の処刑を命ぜられるのです。明日、指名される野獣は自分であるかもしれません。ここでは「反復強迫」が繰り返されているのです。

フロイトは軍隊や教会における「集団」形成のメカニズムを分析したのですが、戦争神経症の患者は自らの苦痛に満ちた体験を夢の中で反復するといいます。

>反復強迫とは、過去に起こった外傷体験を反復し、苦痛に満ちた状況の中に自ら身を置くという状況を指しています。反復強迫において、患者は「抑圧されたものを過去の一断片として想起する」代わりに、「現在の体験として反復することを強いられる。」(参考:フロイト『快原理の彼岸』「死の欲動)

 ここで格別に注意を喚起したいのですが、以上で述べたように「軍隊」とは、父系列の氏族関係の基盤にあるということです。ここには、抑圧されているセクシュアリティ、つまりホモソーシャルな欲望が充満しているのです。

ホモソーシャル (Homosocial)とは、それ自体、同性愛と見まがうような強い接触・親愛関係でありながら、男性同性愛者を排除する。そうして女性嫌悪を基本的な特徴とし、家父長制にあるように女性をシャドーワークに貶めて閉鎖的な連帯関係をつくる。(例:軍隊・体育会系のサークル)

戦場では、男性のホモソーシャルな絆によってナショナリズムは発動し、いよいよ〈男性ロゴス中心主義からの欲望が、獣欲ともよべる過剰な性欲が高揚していきます。

フロイトは軍隊や教会における「集団」形成のメカニズムを分析したのですが、戦争神経症の患者は自らの苦痛に満ちた体験を夢の中で反復するといいます。

>反復強迫とは、過去に起こった外傷体験を反復し、苦痛に満ちた状況の中に自ら身を置くという状況を指しています。反復強迫において、患者は「抑圧されたものを過去の一断片として想起する」代わりに、「現在の体験として反復することを強いられる。」(参考:フロイト『快原理の彼岸』「死の欲動」)

 日本帝国主義による掠奪・虐殺・放火、強姦は、枚挙にいとまがないほど報告されていますが、被植民地国における植民者の獣欲ともよべるような過剰な性欲については、その起源が紀元前にまでおよぶことを私たちは認識しなくてはなりません。女性を贈物として、「女だから好きなように」貪り喰ってよいとされた『女性差別』の歴史のなかの文脈まで読まなければならないと思います。

 気まぐれに殺人命令を出す上官。上目づかいで、うやうやしく膝を打って従う僕(しもべ)。この〈比類なき規律メカニズム〉によって、兵士は絶えず監視されているという意識を持たされ、いつの間にか、それを自分自身に対して自発的に働かせて、自らを抑制していきます。

日本軍隊は、このような自己の恐怖をまぎれさせるために「慰安婦」を必要としたのです。前回、「強姦する者の疑問の余地もない優越性」について書きましたが、日本軍隊は、【抑圧移譲の論理】によって「慰安婦」を辱めて吸収しつくして無力な状態に貶めていったのです。

 ※【抑圧移譲の論理】上位者からの圧迫感を下位者への恣意の発揮によって順次に移譲していくことにより、全体の精神のバランスが維持される体系をいう。(「丸山真男の「超国家主義の論理と心理」:1946

兵士のみを注目したとき、その凄惨な悲惨な状況は痛ましいものであり憐憫の情を抱かずにはおれません。が、しかし、勝手気ままに襲い掛かってきた魔物に強姦されつづけ、逃れることのできなかった「慰安婦」との関係において、彼らの行為はどのように名指しされるのでしょうか?

もしも、戦後、その兵士の横に「慰安婦」が立った時、彼は「私もまた犠牲者だった」と言えるのでしょうか?「戦場の狂気」は抽象観念で語って済ませられるものではありません。日本軍「慰安婦」の置かれた状況とは、極度な非日常であり「アウシュビッツ」に代表されるような圧倒的な〈出来事〉に似ていると、私は思います。

「命令は命令だ」―逃走と棘

1945年8月15日、日本国は、敗戦を全人間的に高められた「総懺悔」として演出し、〈敗北〉を内的な勝利として倒錯しようと用意周到に企てました。それらは、世界の形勢を微小な推移まで読んだ上で、そうして実に微妙な駆け引きを重ねて、戦後復興の青写真が完成すると、…後は、インクをこぼして誤魔化してしまう子どものように、彼らは、〈あまたの裏穴〉に身を潜ませていったのです。うんざりした気分の後には眠りがやってくるものです。敗者は、夢の中で悲哀感と無力感の償いをして、そうして目覚めた時、機械仕掛けのように〈記憶喪失者〉になっていったのです。

ニーチェが、日常の「良き人」について明晰に語っています。思い当たるふしがあると思います。

>「習俗、尊敬、慣習、感謝によって厳しく抑制されているこの同じ『良き』人々、さらにたがいの監視と、対等な者のあいだでの嫉妬によって、いっそう厳しく抑制されている人々が、たがいのふるまいにおいては、配慮と自己の制御と親切な感情と忠実さと矜持と友情の細やかな人々が、いったん-外部に向かっては、すなわち自分とは異質なものが存在するところ、〈異邦〉に足を踏みだすと、綱を解き放たれた猛獣と同じようなふるまいを示すのである。」

>「社会の平和という〈檻〉の中に長いあいだ閉じ込められ、囲われていたあいだに生まれていた緊張を、この荒野で気軽に解き放つのである。彼らは猛獣のもつ意識に立ち戻り、怪獣のように小躍りする。彼らはおそらく殺人、凌辱、拷問のような戦慄すべき行為をつづけても、まるで大学生風の騒動をやらかしたにすぎないかのように、意気揚揚と平然と戻ってくるのである。」(ニーチェ『道徳の系譜光文社文庫P64、65)

つまり、人間は、積極的な「忘却」の能力によって生物学的な記憶を抑圧して人間になったのです。前回、『帝国の慰安婦』P221、P222 を引用して【戦場の狂気とエロティシズム】について書きました。

 >「小説の中の慰安婦たちは、強姦される前に『この車輌のなかで、夜ふけだというのに、狂ったように声をはりあげて歌っている』『同じ歌をいつまでもうたってい』たとされる。しかも、彼女たちは強姦されたあと、痛みに耐えかね……略」

ここで、もう少し掘り下げて「男性ロゴス中心主義からの欲望」について考えたいと思います。「錯乱した精神がその錯乱を忘れさせるためにいかに恐ろしい事をなしうるのか」を心に留めておきたいからです。慰安所という〈助けが無い〉『牢獄』のなかで、強烈な殺気が投げつけられ貪り喰うように強姦されていきました。兵士は、痩せ衰えているというのに鬱積していたエネルギーを膨らませて狂奔するように強姦するのです。「慰安婦」は震え、為されるが儘でいる以外になかったと思います。凄惨な絶望です。

にもかかわらず、朴裕河氏は、

>「〈ツカレ〉た身体を奮い立たせてまで、もう一度好きな男を求めずにはいられなかった。」

>「『帝国の慰安婦』たちのなかには日本兵と『愛』と『同志意識』で結ばれていた者もいた」

>「愛と平和が可能であったことは事実であり、それは朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が基本的には同志的な関係だったからである」

などと書いています。(P222)強姦されて〈露出したまま〉横たわっていた「慰安婦」…略…の切断された肉体を、凌辱した兵士は、ゴクリと唾を呑み込んで眺めていたのではないか。強烈な殺気を投げつけて遮二無二強姦した男。それは「慰安婦」から見れば侮蔑以外のなにものでもありません。「慰安婦」は、尋常ならざる怖気から獣を忌々しそうに睨み据えていたに違いありません。

戦場における「軍隊」の絆とは、ホモソーシャルナショナリズムというものです。上の考察は、韓国ではジェンダー問題について〈第一人者〉であると自負されておられる朴氏の思想の質が問われる箇所でもあります。

日本国は、兵士の軍隊内の〈差別と抑圧〉からの憤懣を取り除くために「慰安婦」を必要としたのです。兵士は、おのれの生存の欲望を根底から縛られ、時に〈褒美〉をもらっては「戦意」を操られたのです。「慰安婦」たちはそのような兵士たちによって蹂躙されたのでした。

戦場という狂気の沙汰においては、生き延びるために誰もが必死になるのです。(それは本能というもの)。その飽くなき情熱は救いがたい「耽溺状態」を生じさせていき、そうして一種の快楽にまで上昇し、人間は狂気にいたってしまいます。

バタイユ『エロティシズム』第9章、「性的充実と死」に次のような一文があります。人間のエロティシズムに結びついている肉体的性欲は過剰であるが、

>「この過剰は、個体の成長という面から眺めても、純然たる衰滅という面においても、まさしく浪費されている。」

>「私たちの想像力にとっては、最後の絶頂につづく衰弱が『小さな死』と考えられているほど、その意味ははっきりしているのである。死はつねに、人間には興奮の暴力につづく引潮の象徴である。」(P145)

>「生殖という目的から独立した性活動でさえ…略…生殖の形式である分裂繁殖に依拠しなければならぬ。」(P146)

 「戦場とエロティシズム」の問題は、ジェンダー差別についての洞察が少ない今、語り尽くすことが困難です。とはいえ、無知や誤謬から「慰安婦」を貶める言動は見過ごすことができませんから、今回は言葉足らずでありながら考察してみました。今回の描き下ろしは、あまりに躓きましたから「歴史哲学」の本まで引っ張り出して、問題の立て方を再考してみました。(悔恨です)

 歴史の「二つの独立した因果の衝突」の解き方について歴史家E・H・カーは、次のように言っています。

>「現在の光に照らして過去の理解を進め、過去の光に照らして現在の理解を進める」(『歴史とは何か』岩波新書P145)

歴史は科学であると明言した上で、また以下のようにも言っています。

>「歴史の外にある源泉から現われてくるものではありません。」(同上P176)

そうして、当時台頭してきた構築主義の歴史意識について以下のように忠告しています。>「歴史は何の意味も持っていない、あるいは、どれも甲乙のない沢山の意味を持っている」(同上P161)などとは、>「何でも好きな意味を歴史に与えることができるという見方」は、>「とうてい承認できない。」

>「真理」は、「事実の世界と価値の世界とに二股かけたものであり両方の要素で成り立っている。」

 としても証明するべきものであり、歴史から断片を抜出し、修繕とか「やりくり」をして自分の主観で歴史を描くのは罪であると言っています。 

独断論をいうことのないE・H・カーですが、著書の最後に来て毅然として提言しています。それは、歴史を探求する者は、理性の名において

>「不断に動く世界に対する行き届いた感覚」を鈍らせてはいけない。」(同上P233)

 切り捨てられてきた記憶

 ここで、20世紀の世界大戦の犠牲者でもあるベンヤミン(思想家)の呼び声を紹介させていただきます。

>「史的唯物論はつねに勝利しなければならない。なぜなら歴史において抑圧され辱めを受けた人びとの救済は,史的唯物論の正しい作り直しとその活用に掛かっているからである。」(『ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味』P648)

>「《過去が現在に対して持つ》この請求権をぞんざいに取り扱うことはできない。史的唯物論はこのことをわきまえている。」(同上P694)

多くの人が、ベンヤミンマルクス主義者を揶揄したといいますが誤解であると思います。マルクスを熟読したベンヤミンは,マルクスの思想が軽薄に聖典化される傾向に義憤を抱いていましたからシニカルにマルクス主義教条主義者を揶揄することがありました。しかし、実は真の革命的救済の可能性を常に模索していました。

朴裕河氏は、事実の欠片を無造作に拾い集めて、シャッフルして自分の主観的な真実のイメージを夢想させようとしたのでしょうか?『帝国の慰安婦』は歴史の記述に誤謬が多く、また内容が錯綜していて混乱も見られますが…そこに、その行間から、私には著者の嘆息が聞こえてきたような気がします。とはいえ、どうか「慰安婦」に唾吐くような行いばかりは止めてください。

慰安婦」は謝罪せよと歯に衣着せぬ呪詛のように訴えていますが、「慰安婦」たちは、ずっと奪われつづけてきたもの〈そのもの〉を欲求しているにすぎません。

 蘇生を渇望する国家主義

 集団ナルシシズムで潤色された物語は、ネガティブにカテゴライズする強い傾向を持つものですが、日本の「国家主義者」たちは不都合な真実を覆い隠しながら、反動的でパラノイア的な「国家の物語」に成長させてきました。今般、NGOや女性団体の活動が拡大し、その国際的な協力が飛躍し、「慰安婦」問題が国際法の分野で女性の権利侵害の歴史的な実例として1990年代から広く言及され、国際法の文献においても「慰安婦」問題が第二次大戦中の性的犯罪として国際的問題となると、日本の自由主義史観論者、国家主義者は、狼狽をひた隠しにしながら、逆に傍若無人に、被植民地国を嘲笑し、「慰安婦」を貶めてきました。

今日、まるで鬼の首でも取ったように「慰安婦」に対して、証明のための証言を求めるのです。笑止千万です。戦後70年間も遺棄され、切り捨てられてきた記憶なのです。もしも、四半世紀昔であれば、多様な証言を包摂した「記録集」ができたはずなのですが、自分たちの不作為を棚上げして、口角泡飛ばして「虚言」とバッシングしています。

縛られていた、いくつもの錠前が外されたとはいっても、記憶は痙攣の渦のなかで朦朧としていったのだし、必死で拭い去ろうとしてきたのです。あまりに長い歳月、辱められ傷つけられ恐怖のあまり言葉を失っていたのです。その古い記憶を昨日の今日のように証言してほしいとは無理な話なのです。(記憶は片鱗でしかないとはしても、胸の奥底に沈殿していますが、人生の最終章にきて肉体は衰弱しています。無理な話です。)

これまで、私は何度も、慰安婦」が受けた苦痛というものを熟考するならば、罪人の苦しみによって支払われる〈交換〉物などもとより無い、と繰り返してきました。これは、〈ニーチェ〉の方程式《惹き起こした損害=受けるべき苦痛》から引いたものです。

「良心の呵責」と「罪責感」とは、ニーチェ『道徳の系譜』第2論文《「罪」「疾しい良心」およびこれに関連したその他の論文》に書かれています。

ニーチェが語る「国家」はしばしば誤解されますが、>「金髪の肉食獣の群れであり、征服者かつ支配者である。」との記述は、18世紀台頭してきた『古代ギリシャのアーリア起源説』への急進的な反立として書かれています。「金髪の猛獣」とは、ヒットラーが瞞着したアーリア人を指しています。それは、BC2千年紀から旧大陸全域にわたって移動をはじめた[インド-ヨーロッパ族]です。これが16世紀以降、ドイツ民族主義者やロマン主義者の間で人気が出たのです。(スウェーデンはゴート起源説(誤謬)から30年戦争に介入していました。)
ニーチェは19世紀中庸から末にかけての「ヨーロッパ精神」の荒廃が独裁者を誕生させると杞憂し、ゲーテ箴言詩にあるように「心楽しく抗議(プロテスト)」したのですが、20世紀、いたるところで歪曲されました。惜しいことです。
ニーチェは常に、世界は不条理であるから、「生命は自立した倫理を持つべき」と説教していました。

すべてを「テキスト」から引用するべきですが、なじみのない方には読みにくいと思われますから、僭越ながら私が意訳したいと思います。
日本の国家主義は、敗戦後、自らの記憶を抑圧して、新しい共同の集合体日本遺族会など)と縁組することによって〈再生〉を試みました。

さて、ここで朴裕河氏は、再三再四、加害者もまた犠牲者であったと語り、藤原帰一氏も、>「加害者は犠牲者でもある」と発言し、加害者の被害者性に思いを馳せています。が、ここで、その陥穽についてキッチリと指摘したいと思います。

その被害者性を〈犠牲者=加害者〉と仮定してみましょう。そうして、これをニーチェの〈惹き起こした損害=受けるべき苦痛〉に置き換えてみるのです。意訳しますが…、罪人の苦痛が、彼が惹き起こした損害と等価物であるか、否かを考えてみます。と、ここで、被害者の側に置き換えて考えてみましょう。すると、自分の受けた損害が〈加害者の苦しみによって支払われる〉などと説明することが〈いかにして可能か!〉という疑問がわいてきます。

ニーチェは、罪人(加害者)が、《悪い債務者》である場合には、罰としての刻印は加害者の身体に十分には喰いこまず、よって、関係は破棄されてしまうと言っています。しかし、人間には無意識の内にも〈原始的な正義〉というものがあって、切り捨てた過去の記憶は反響し、残響しつづけると云うのです。

〈債務者〉は、利己主義を決め込んだとしても潜在意識として「良心の呵責」を抱えることになったのです。(なるほど、これが、朴氏がいう日本軍隊兵士もまた心に傷を負った、に符号します。)思考力が浅い人の場合、混同も致し方ないものかもしれません。その記憶された場面とは、たしかに「ひとつの事柄」なのですから。私は上に「一つの網をかけて意味を飛躍させ」たと問題提出しましたが、その一つの場面弁証法によって検証してみるなば、双子のように似ていても、別物であると分かるはずです。

しかし、>「『焔を吹いて吠えながら語る』あの犬の《国家》」を、>「ここで見逃してしまうと、今度は>「何のためらいもなく、恐るべき爪牙をふるう」のだから、>「今度という今度は、ペシミズム的な霧の中に消され」てしまわないように、しっかりと罰を与えなければならないニーチェは警告しています。

が、ここで勘違いしてはなりません。罪を償ったといったところで、さて〈犠牲者〉の記憶は拭い去られるわけではないのです。〈犠牲者〉(債務者)の胸の底では、あの記憶が依然として反響し残響し続けるのです。

少し脱線しますが、「刑罰の起源と目的」(『道徳の系譜』同上P138)は、>「〔犯された損害への〕復讐や〔将来の犯罪を防ぐための〕威嚇のようなもの」であり、その効用とは、>「への意志が自分よりも力の弱いものを支配する主人となり、ある機能の意味をの弱いものに押しつけ」て、社会は法の秩序をつくりあげていったわけです。これらは、ニーチェが、カントの『純粋理性批判』、『実践理性批判』に人間の残酷な匂いをかぎとって書かれたものです。(ニーチェのテキストは読みやすいために勘違いされますが、実は古典文献学の権威であり、誰よりもあらゆる古典の文献を網羅して読み込んでいました。

私は、ここで形而上学を援用してはいませんが、「慰安婦」が「赦す」とは、まさに〈他者中心性の愛〉のようなものであると思います。それは、〈神聖な価値〉とも呼ばれるものであり、友情や個人の名誉は、他の価値、例えば金銭によって回復されることはありないという意味です。

世界に広く広まっている寓話に《群盲象をなでる》があります。これは予定調和を謳っているものではないと思います。「真実」とは、ある種の条件付きで洞察と努力によって獲得しうるものと教えているように思います。『帝国の慰安婦』では、著者自身が二項対立という思考を避けたいと言いながら、慰安婦」支援の人々を揶揄して容易く善玉と悪玉をつくり出し、実に自身が二項対立の論によって世論を分裂させています。これをヒューマニズム、道徳として押しつけてきては、日韓の間の隔たりにさらなる亀裂をつくることになります。

 

追記 :戦場の兵士にも被害者性を見ます。戦争が長引くにつれて、部隊は疲弊していき、恫喝と挑発に頼って叱咤激励して生き延びました。(その多くは、無念の死を遂げました。)

兵士は、夜空を見上げては、雲の向こうには星空があるのだからと自らに言い聞かせながら自己の恐怖というものを紛らわせるしかなかったのです。とは、いえ、敗戦後、己の罪を下級兵士に押しつけたり、いわんや被植民地国出身の軍属を「B・C戦犯」としてつき出したのも日本軍隊であったことを鑑みれば、被植民地国の慟哭とは天をも突くようなものでしょう。謝罪文であるとして、儀礼的に謝った振りをして、被害者がうな垂れると途端に豹変して「謝ったというのに、まだ文句があるのか」と猛々しく怒鳴る…その一端を垣間見ていた群衆は、今度は皆で輪になって被害者をバッシングするのです。不条理この上ありません。

 

 

 

 

朴裕河『帝国の慰安婦』批判 (3)非歴史的な「ジェンダー誤答」           

鏡のように静かな湖面の底深くには、不気味な〈てい泥〉が堆積しています。その堆積物に、〈死屍累々の腐食〉という本性が隠されているとすれば、どうでしょう?

私は今、その静寂にあえて小石を一つ投げ込んでみようと思います。

 2015年2月23日、NHK【ニュースウォッチ9】(総合1)にて朴裕河氏の会見の模様がクローズアップされました。

(日本記者クラブが、大沼保昭明治大学特任教授と朴裕河世宗大学教授を招いた記者会見。『ビデオニュース・ドットコム』に会見全編の動画がアップ。2時間17分)

 やはり、品格よく穏やかな話しぶりです。>「どちらかが正しいということはないと思います。」と〈友愛〉を求めていました。多くの視聴者が魅せられたことでしょう。

しかし、私は、そこに目立たずに偽装された言葉を聞き取ってしまい、目を覆いたい耳を覆いたいと…唖然としてしまいました。

 くしくも2015年2月4日、朝日新聞文化欄に朴氏のインタビュー記事が掲載されていたのです。タイトルは、「慰安婦:日韓のもつれ解くカギは」であり、副題として「個人の痛み 互いに想像を」とありました。

 >「日本語版では、痛ましい経験をした慰安婦一人ひとりが、顔も個性も異なる人間だったことが伝わるよう、表現に心をくだいた」と言っています。また、>「個人の痛みや、加害者としての苦痛を想像してみると心に余裕ができるはず」とも言っています。

 何という器用仕事でしょう!『帝国の慰安婦』本文にて、問題ありと指摘された箇所が、さり気なく微妙に変更されているではありませんか?今般の『帝国の慰安婦』批判を検討した上で、綿密に狡猾に〈すり替え〉られているのです。

それをそのままで受取るとは、あまりに浅慮極まりないではありませんか。私は、急きょ、用意していた原稿を書きなおすことにしました。今回は、流儀も変えてみたいと思います。

 今回、私は、熟慮の末に「歴史資料」によらずに、[ジェンダー・ポリティクス]について、私の言葉によって書こうと思います。それは、私なりに物の本から学んで考察し分析したものですが、読者の「主観性への呼びかけ」を目的とするためです。この行為は、無分別を仕掛ける噴飯ものと誹られそうですが…今日の日本で「国家主義者」が、反動的パラノイア的な重圧のなかで、(色めき立ったように)口角泡を飛ばして「慰安婦」を凌辱しているのです。そこに精神の切っ先で矢を立てるためには、私自身も咆哮しなければなりません。なお、それらの根拠については別立ての記事にて注釈させていただくつもりです。今回ここで、ひとつひとつを学際的な流儀によって注釈していくとすれば、主張が腰折れてしまいます。私は、撃たねばならないのです。

 1989年、多くの人々の幻想が瓦解していきました。そもそもスターリンがもたらした逸脱は明白になっていましたし、悲劇的であり甚大な損失から砕けてしまっていましたが、とはいえ、危機から脱出するための創造的な仮説を誰も提出できずにいました。「何かが砕けてしまった」(アルチュセール資本論を読む』)とき、偶然的要素である〈外部〉〈背後〉〈予測しえぬもの〉がどっと押し寄せてくると、マルクス主義哲学は、ただ耐え忍ぶ他はなかったのです。

アルチュセールは、「社会主義は糞だ」と叫びながら、にもかかわらず「あらゆる可能性のないところで」革命的実践を展開していくことの意味を問い続けました。「どこへも通じない道の中の道で」「いかにして抵抗は可能なのか」を問い続けて、さて、現実にはやはり「マルクスへ帰って行こう」となったのです。「ポストモダン」は、とかく日本ではひとくくりに語ってしまわれますが…私は、隙間の哲学として読み、多くを示唆されてきました。資本主義経済の隙間で「身体」とともに推論して、「市場関係の支配していない」地帯に赴いて全体性に対抗し、大衆運動に身をゆだねようというものです。(この論は、ミッシェル・フーコーと同様である。)つまり、今や「大衆」の表現のための政治闘争は新たな敵に直面しているのだから、そのイデオロギー的力に拮抗する現実的足場を固めて遂行されなければならないのだから、ここでは「主観性」への呼びかけは誤魔化しなどではないと言明しているのです。

朴裕河著『帝国の慰安婦』は、構築主義者の装いを見せますが、朴氏のとらえる「国家」とは、社会だけが権力に絶対的に吸収される場であるとしているのですが、それは矮小化です。ポストモダニズムの表層をさらっているにすぎません。

 忽然と現れた「慰安婦問題」       

1990年、まどろみを破るように「慰安婦」が世界を告発しました。儒教の国「韓国朝鮮」では、植民地支配から解放された後も、女に「つつましさ」を強いるのであり、「慰安婦」は無理矢理、諦めさせられ忍耐させられて引きこもる以外に道はありませんでした。

ところが、忽然と現れた「慰安婦」は、貫き通すような切っ先の言葉で、「お前は何者か!」「謝罪せよ」と訴えてきたのです。その眼差しは、敗北さえも闘いとるというような峻厳なものでした。

慰安婦」の告発は、否が応にも、日本国の「戦争の記憶」を喚起することになり、多くの日本人はうろたえ、たじろぎ、立ちすくんでしまったようです。ましてや〈戦争を知らない世代〉の多くは「記憶にはない過去」を償うなど理不尽な要求であると反発しました。(突き崩されるように悩む人も少なからずいました。)

ところで、また一方で、すっかり衣替えをすませてしまった戦争体験者の中には、「彼方から来た声」に怯えるあまり、逆に被害者意識をもって反撃していく人々がいます。身を守るために、潤色されたパラノイアの物語を次々とつくっては、毒を塗った上着を着込んで今日も演説しているのです。これに触発されたように、不満を鬱積させてきた戦後世代も、色めき立ったように口角泡を飛ばして、今日も「慰安婦」を凌辱しています。

慰安婦」が容赦なく拒否しているのは、このような〈歴史〉の記憶喪失者を装っている日本人です。

半世紀近くも遺棄されたままだった「慰安婦」が、死体になってもなお灰のなかから呼びかけてきます。

 「忘れないでください」

>「死してもなお曝されている無数の他者がいます。」
>「読むだけでは十分ではありません。理解し、吸収することも十分とはいえません。重要なのは、用心深く見張り、そして目覚めていることなのです。」(『ブランショ政治論集1958-1993』P285・283「忘れないでください」)

>「この過去に発せられた声のかすかな残響を聴き取る。『あらゆる変化の中でも最も目立たないこの変化を、歴史的喩物論者はよく知っていなければならない』」(『ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味』P648)

歴史修正主義者が、きれいさっぱりと忘れて胸の奥深くに鎮めて隠してきた過去が、瘡蓋を剥がされるように呼び起こされてしまって、彼らは心底怯えているのです。死に曝されている無数の死者たちが復讐にやってくるのではないかと、まさかの幽霊を狂信してもいるのです。

 非歴史的なジェンダー誤答

『帝国の慰安婦』では、しばしば文学作品を引用しながら、セックスとジェンダー双方の「表出」と「性的欲望」についてコメントしているのですが、それらは、一隅の資料からの独善的な解釈が多く、その再構成の作業が主観的すぎるので私は同意しかねます。その多くが『非歴史的なジェンダー誤答』と指摘しなくてはなりません。

あるアニメーション作品からの引用であるとありますが、作品名が具体的に示されていないために不明ながら…『帝国の慰安婦』から、P151から、そのままに引用します。

P151 >「証言では、自分にアヘンを打ったのは『主人』だったとしているがアニメーションでは、…略…『軍人』だけが前景化しているのである。」

>「阿片は、身体の痛みをやわらげる一方で、時には性的快楽を倍加するためにも使われていた。」

P152 >「しかし、そのような阿片使用の元の目的は消えて、ただ日本軍の悪行の証拠としてのみ位置づけられる。証言を加工した二次生産物が、慰安婦のありのままの生の姿をますます見えにくくしている最近の代表的な例といえるだろう。おそらく、2012年に韓国で慰安婦の公式名称を『性奴隷』にすべきとの議論が出たとき、本人たちが拒否した理由もそこにあるはずだ」

 何という邪推でしょう。フィクションとヒストリー、空想的な物語と真実を綯い交ぜにしています。ここには、批判的に吟味しながら、歴史に関する推論を詰めていこうとする姿勢がまったく見当たりません。ことさらに阿片に溺れる怠惰な姿を強調していますが、ここに先入観・偏見からの抜きがたい差別意識を読むことができます。

著者は、阿片戦争】について把握していないのでしょうか?東アジアの近代は、中国とイギリスの阿片戦争に始まるといわれていますが、その仕掛け人が【ジャーディン=マセソン商会(怡和 洋行)】です。アヘン密売が本業ですが、大英帝国の典型的な「尖兵」的商社であり、「阿片戦争」への青写真を慎重に綿密に狡猾に書き、成功裏に勝利した後、在中国イギリス資本中、最大のものとなりました。イギリス東インド会社の最大の債権者でもありました。

マセソン商会は、さらに触手を伸ばし、彼らは、日本の明治維新に大きく寄与したのです。長州藩など討幕派に協力する一方(伊藤博文坂本竜馬への支援は有名な話)、幕府に対してしてはアームストロング砲、軍艦などの武器を提供し、莫大な利益を上げていたのです。その繋がりから、日本帝国主義は「阿片」を一つの道具としていたことは周知の事実。戦場で、もっとも虐げられていた「慰安婦」が阿片によって操作されていたとは自明です。日本軍隊と阿片とは縁の深いものであり、今日の日本の首相安倍晋三の祖父、岸信介は、上海を拠点にアヘンの元締めとして謀略と特務工作にかかわっていた人物〈里見甫〉と非常に親密な関係にありました。(注:里見は、満鉄出身の中国浪人として権勢をふるっていた。)>「岸さんは関東軍に対しては事前に手を打って摩擦や衝突の起こらないようにしたうえで,仕事を進めていくとやり方をとっていました。満州でも誰でもそうやりますが、岸さんの場合は、水際だっていましたね」(『昭和の妖怪-岸信介』(学陽書房: 1979

つまり、朴裕河氏のP151 ,152の記述は、一隅の資料から、一元的なものに固定化し抽象化してしまったための、重大な誤謬です。

 

 強姦する者の疑問の余地もない優越性

以下は、小説『蝗』田村泰次郎からの引用であるといいます。

P221、P222  >「小説の中の慰安婦たちは、強姦される前に『この車輌のなかで、夜ふけだというのに、狂ったように声をはりあげて歌っている』『同じ歌をいつまでもうたってい』たとされる。しかも、彼女たちは強姦されたあと、痛みに耐えかね、性器を露出したまま横たわっていたりもする。作者はその風景について『ふだん、彼女たちがそこを見せびらかすのは、男たちに対する挑みかけ、そして、もっと正確にいうならば、彼女たち自身に対する、そのことに羞恥心を覚えることに対する抵抗、そしてそうすることによってしか、生きられない自分たちの生き方を、すすんで忘れようとする積極的な身ぶりがはたらいている』と書く」

作家[田村泰次郎]は、慰安婦を異様なるものとして強姦するエロティシズムを描きたかったのでしょうか?小説とは、その表現は一つの雰囲気、背理的な暗示の世界であり、象徴的に比喩的に語られる世界であるのですから、田村泰次郎氏が文学として著したのであれば固有の世界です。しかし、朴氏は、これを歴史の証言でもあるかのように並列して、そうして解釈しているのです。

朴氏には歴史意識が欠落していて、そうして描かれる心象風景は〈社会の総体的な過程〉を媒介していないために、「慰安婦」の意識が表象されていません。その表現は、倒れた馬をなおも打つかのように、残酷に貶めることになっています。

戦場の「慰安婦」の位置について、まず認識したいのは、日本軍隊が、〈生殺与奪の権〉を握っているという絶対性のなかでの権力関係であったということです。「助けの無い」がどのように逆らうのでしょうか?

殺気漂う張り詰めた戦場で、それぞれが裡から迸る殺戮衝動にのみ突き動かされて勝手気ままに襲い掛かってくるのです。「慰安婦」は、絶対的な物量を前に無傷でいられる道理がありません。兵士は、支配するために、「慰安婦」を辱めて吸収しつくして、無力な状態に貶めていったのです。「狂ったように声をはりあげて歌」ったこともあったでしょう。それが、まだ生きているという証なのです。

慰安所」は自由の無い禁止づくめの空間であるが、与えられた特定の「しごと」だけは反復せよと命じる。しかも、その「しごと」は効率性が求められている。短時間で可能な限り最大量の「しごと」をせよと命じるのだ。

確かに「日本軍隊」は、「慰安婦」にほんの僅かな食べ物を与えた。しかし、それは憐みからでは毛頭ないのである。有益な用途があるうちは、「慰安婦」の養分を摂取しつくすまで「生かさず、殺さず」に味わいつくそうとしたまでだ。

 

 『戦場の狂気』―二重化三重化されていく「偏執狂的妄想」

無論、この屠殺場のような牢獄から〈逃走〉を試みる「慰安婦」も稀にはいました。が、しかし、脱出したと思った瞬間、すでに彼らに包囲されていることに気づかねばならなかったのです。(その《罪》は、懲罰されたり処刑されたりしました。)だから、何人も独力で逃走しようなどと謀反気を起こそうとしなくなっていくのです。(金学順さんが脱出に成功したとは知力と胆力があった賜物と思います。)

慰安婦」は、あらゆる疲労のなかで消尽してもなお、さらに「終わるために」、その日、その時を過ぎていかねばならなかったのです。ただ「生きる」こと以外には欲求を持ち得ません。「何のために」という目的も意味も放棄して、弄られてながら生きていかねばならなかったのです。ただ黙って不条理な死を待つよりも、生きるために最後まで足掻く方を選んだのと思います。 

小説『蝗』からの引用P221、P222を読んだとき、私は思わず震えてしまいました。私は、ここばかりは文字に起こしたくなかったのです。しかし、朴裕河氏の欺瞞を露わにするためには、その問題点を明らかにしなければと決意しました。ナイーヴな問題であるからこそ、緻密微妙に磨き上げて最善を尽くして書いてみたいと思ったのです。

《その場所に、私はいなかった。私は、その人ではなかった。》を噛みしめながら書いています。

 ここには、男の性欲による肉体への徹底的な操作があります。鬱積していたエネルギーを膨らませて、「日本軍兵士」は「慰安婦」を徹底的に凌辱しつくていったのです。ここには、凌辱された肉体を眺める男がいます。異形の肉体として描いて「寸断された身体」のように扱って凌辱しています。男は、生き残るために生きる欲望のために、飽くことを知らぬ情熱で官能の絶頂を貪り喰って(貪欲に燃え立つ攻撃で)女たちを征服していったのです。

 ギリシャ神話の中に、古今東西愛されてきた物語があります。宇宙の頂点に立つゼウス Zeus(ローマ名:ユピテル)は、動物の姿に頽落して女と交わり〈快楽〉を楽しみました。ここでのゼウスは、「獣の愛」の姿に〈快楽〉を幻想する男でしかありません。それは、支配されている最下層の存在に包まれた女が、支配者に征服される姿の描写です。雲に覆われるイオ、雨に凌辱されるダナエは、男の性欲にとって実にエロティックだというのです。それは、「死の欲動」です。束の間の同一性の危機です。この解体という危機のなかで欲動するエロティシズムをバタイユは、『エロティシズム』の性とは、男と女という(文化的につくられてきたジェンダー)境界の侵犯によって成立すると、見事に書いています。

(今回は、哲学を援用しません。哲学の一部を悪戯に引用しては混乱を招くと思います。遠からず、フーコーバタイユジュディス・バトラーフロイトドゥルーズ=ガタリ他を援用して、依然として飢えている〈動物的な力と情熱〉というものに新たな切り口を入れなければならないと考えています。)

以下に、少々、象徴的な表現を紹介させていただきます。

 ラカンは、>「同じ出来事の循環的反復、偏在的増殖、果てしない周期的再帰といった幻想、同じ人物の二重化三重化≫を偏執狂的妄想という」と言っています。また、異形の肉体を「寸断された身体」のように扱って凌辱するとは、「そこに去勢コンプレックス、女性嫌悪も潜んでいるかもしれない」と言っています。

 画家のダリは、>「偏執狂的現象とは…略…二重の映像をもつ広く知られた例の形象―形象は、理論的にまた実践的に、三重四重と発展されうる」と書いています。(『ナルシスの変貌』所収)

 

 戦場の狂気とエロティシズム

P223 >「〈ツカレ〉た身体を奮い立たせてまで、もう一度好きな男を求めずにはいられなかったのも、自分の身と心の『主人』―真の所有者たろうとした精一杯の身振りなのである。」

何という倒錯した解釈でしょうか?それは朴氏の妄覚というものでしょう。その男は、内心では「慰安婦」を〈取るに足らない〉物と考え、家畜と呼んでいたでしょう。性的なエロティシズム・快楽とは人間の本性のものです。人間とは、不可解な偶発的な事故によって孤独に死んでいくこともあり、深層心理において「死」の不安を向こうに見ています。だから、個体としての「孤独」「絶望」を打ち消したいと過剰なまでの欲望を持っているといえます。それは、ハイデカーのいう「死への先駆」という表現でも表されると思います。性交の快楽の絶頂のなかで限界の外に出ようとするとき、ヒトは一瞬、死の与える恐怖から逸れたように錯覚するのです。しかし、バタイユが何度も強調しているのは、

>「性行為の醜さについては誰も疑うもの者がない。犠牲における死と同様に、性交の醜さは不安に陥れるのだ。しかし不安が―〈パートナー同志の力量に応じて〉―大きければ、大きいほど、それだけ限界を乗り越える意識も強くなり、したがって歓びはますます高まるのだ。」(『エロティシズム』二見書房P210)と書いていますし、また、

>「ある意味では、純粋無垢な状態にある熱狂、といったものへと回帰するのでなければ、判断を誤ることになるだろう。」(『バタイユの世界』青土社P466)

と言っているように、男女の間に差別・抑圧の関係があれば歓びもなく、死の不安の〈乗り越え〉もないと言っています。私は正しいと思います。つまり、朴氏の上の解釈は大いなる誤解と言わねばなりません。

性的なエロティシズムは女にも男にもあります。戦場という殺戮の場であっても、「慰安婦」も生身の人間です。稀には束の間、一抹の夢を見たことはあったでしょう。また、戦場の荒野で自暴自棄になり、破壊を求める衝動が昂揚し、狂奔するまでに到ったこともあったでしょう。しかし、表情を歪め微かに漏れたその苦悶の嗚咽には、他者には理解できない意味深長な言葉が練り込まれていたに違いありません。

 償われるべき被害とは何か!

>「我々は元慰安婦をまるで聖女や闘士のように扱うが、彼女たちもやはり血の通った人間であり、昨日までとは考えを変えることもあるし、さまざまな欲望も持つ一人の「個人」だとまず理解しなければならない。」

ここで云う〈欲望〉とは何を指すのでしょうか?慰安婦」は、これまで、既存の「国家の物語」の土俵に、一度も入れてはもらえなかったのです。にもかかわらず唐突に脈絡もなく、なぜ「個」として尊重されているかのように書くのでしょうか?朴氏は、「慰安婦」が他人と対等な存在として認められるべきとしながら「慰安婦」が他人から認められたいと、気概をもって闘い、そうして成長したプロセスを素直には喜んでいないように伺えます。むしろ自分の優越願望を超えるのではないかと畏れているようにさえ見えます。皮肉を言っているのではありません。朴裕河氏の貧弱な人間理解に暗澹としています。

他者からの承認を求める人間の〈欲望〉とは、本源的に不均衡をはらんでいるのであり、優越者に追いつこうとします。だから、「慰安婦」と支援の人々は乗り越えのために、時には過剰なほどの膨張をしても世論に訴えようとしたのです。まさに、それは像の足に挑む蟻のごとくの格闘です。その足跡に、あちらでもこちらでも泥を投げつけています。

慰安婦」は、戦場で弄(なぶ)られ破かれた肉体を引きずっても、ようやく生還してきたけれど、世間は容赦なく石つぶてを投げつけてきました。半世紀近く、忌まわしい政治のために危険に曝され遺棄されたまま、その後、2015年になっても、なお「要求」は聞き届けられていないのです。「憲法」で保障されている「個」として尊重されるのならば、喰い潰された女の取り消せぬ日々は、どのように償われるのでしょうか?

朴裕河教授を罷免せよ」との甚だしく凄烈な突き上げは、止むに止まれぬ思いからのものでしょう。穏やかに人情に潤う生活を楽しむ人々には理解不可能な叫びであると思います。

 

「悪い債務者」が惹き起こした損害について

罪人の〈惹き起こした損害〉は、刻印されずに外されたまま長い歳月を過ぎてきたようにみえましたが、しかし、その罪人は内心に「良心の呵責」という葛藤を抱き続けることになってしまったのです。

ところで、「慰安婦」が受けた苦痛というものを熟考するならば、罪人の苦しみによって支払われる〈交換〉物などもとより無いのです。(なぜなら、罪人の受けるべき苦痛に等価物など無いのですから。もはや、何かによって償われるものではないのです。)

では、なぜ?にもかかわらず、「慰安婦」たちはなおも謝罪を迫ってくるのでしょうか!

それは、お互いが救済されるためなのではないかと思います。慰安婦」は、記憶喪失者を装っている「悪い債務者」であるとしても、彼らの葛藤そのものがシグナルを内在させているのだと慧眼しているのだと思います。実は、慰安婦」たちは、「赦す」用意をして待っているのではないでしょうか。

 「互いに欺かず、争わない」

勿論、それは、儀礼的な形式としての謝罪ではありません。かつて18世紀前半、雨森芳州が『交隣堤醒』に説いた精神を、堅い芯にして外交するということです。

>「誠信の交わりということを人々は言うが、多くは字義をはっきりとわきまえていない。誠信とは実意ということであって、互いに欺かず、争わず、真文をもって交わることこそ、まことの誠信である。…略…」

日本人は敗戦によって戦争から解かれましたが、それは解放されたというよりも、たんに枠を外されたという感慨に浸るばかりだったので、根本的な意識改革には及ばなかったようです。

朴裕河氏は、「慰安婦一人ひとりが顔も個性も異なる人間だったことが伝わるよう、表現に心を砕いた」(2015年2月4日『朝日新聞』)と話しながら、実際の著述は、一元的なものに固定化し抽象化してしまっていますし、また、その再構成の作業は主観的すぎます。とりわけ「挺対協」、「ナヌムの家」に対して先入観から強く批判しているのですが、それはもはや偏見の域であり問題であるように見えます。元慰安婦たちが、この2014年7月、「朴裕河教授を罷免せよ」と告発した理由が分かったような気がします。

ところで、私は、オーラルヒストリー、また構築主義者の「歴史」の読み方に先入観、反感を持ってはいません。

ことに、川田文子氏が著した『赤瓦の家』は優れたオーラルヒストリーであると思います。寡黙な日射しのなかに呼び寄せるように「証言」を丹念に聞き取りながら、仮の選択と仮の解釈をしつつ重ねてその解釈の過程を検証して分析して「事実の客観的編纂」にまで仕上げています。それは、歴史的背景が唯物史観論によって書かれているためでしょう。情緒的な揺らぎがありません。

 最底辺に追いやられて呻吟している人々を無視したまま、果たして「和解」は可能でしょうか?この期に及んで遺棄してしまっては、その社会は依然として殺戮の歴史を懐に抱いたまま抑圧を宿すことになってしまいます。

 

 

 

朴裕河『帝国の慰安婦』批判(2) 「新しい偽善のかたち」

 朴裕河著『帝国慰安婦』は、花や香をまとうように「和解」を唱えている。

遥かな声が遠い時間の彼方から向かってきて、読む人々を「赦し」という目標に駆り立てていく。穏やかで分かりやすい語り口。まるで外交官でもあるかのように、衣装を凝らして「心の礼儀」「平和的愛好」「情愛」をまとって〈同意〉を求めくるのだ。

 日韓の「歴史問題」を難解なものとして避けていた人も、いつのまにか「すべてを知っている」という特権的な立場におかれて快適になってくるだろう。そうして、やがて「これこそが真実だ」と膝を打つことになるのだ。まるで観光旅行のガイドブックのようにありふれたことが次々と語れているのだから読み手は躓くことなく進むことができる。

 書き手の肩書は、韓国「世宗大学日本文学科教授」である。日韓の歴史を俯瞰しているように書かれているので、「つつましい」日本人の多くは安堵し、そうして韓国の権威者と対等に「共感」している自分に酔いさえするだろう。

 実をいえば読者は、門口に入って間もなくには、蜘蛛の巣の網にとらわれるように迷子になっているのだが…歴史の基礎知識に乏しい人には見破ることが困難である。なぜなら、朴氏には、歴史に関して網羅的な知識がないために理ではなく情念から「物語っている」からである。

 日韓の政治問題として猖獗(しょうけつ)を極める「歴史問題」を饒舌に抽象化し、すかさず誘導していくとは実に巧みな器用仕事といえる。しかし、逆に〈歴史とは何か?〉と問いながら精読する人は、すぐに「歴史」から滑り落ちるものを読み、虚構性を見破ることになる。

 誰の利益に寄与するのか!

読みながら、ジャーナリズムの浅薄な企みに癒着しているのか?と疑ってしまった。この本は、実は2014年7月、鳴り物入りの刊行が予定されていたそうである。しかし、朴裕河氏が、ナヌムの家と「慰安婦」被害者から訴訟を起こされたため頓挫しそうになったのだ。が、結局は、11月4日(ひっそりと)刊行された。そもそもは、「朝日新聞検証記事」の水先案内人を仰せつかっていたのだろうか?

※版元の「朝日新聞社」は、2014年8月5日、6日、「慰安婦検証記事」を掲載したが、それは狂気の沙汰というような「朝日新聞バッシング」を招き、ついには、朝日新聞社の社長・木村伊量氏が引責辞任までしている。

 

 今日の日本では、「富の偏在」や「格差社会」という巨大な捻じりの下で、惨めさ、欠乏感に苦しむ人が多い。抑圧された感情は誰かに扇動されたならば火を噴いたように暴れていくが、今般の「慰安婦を巡る問題の議論」は群衆の破壊欲をいっそう高めている。彼らは、ますます多くの人々が合流してくると信じて、一段と激しく足を踏み鳴らして〈群がれ!〉〈繋がれ!〉〈固まれ!〉と呼びかける。

公然と(あるいはひそかに)破壊することが許されているのだから、痙攣するように暴れまわっている。ことに、ネット右翼の場合、この企てに参加しても自らに危険が及ぶことはないのだ。まさに「いじめ」の構造に似ている。

 ここへ出現した『帝国の慰安婦』は、「和解」どころか日本中に懐疑心を増幅していくばかりである。

出版後のさまざまな書評を読むと落胆し憮然としてしまう。私は、リベラル派にも痛烈な打撃を与えるのでははないかと杞憂している。戦後民主主義左派には、それぞれの陣営の間に「特有のもつれ」があるのだが、朴氏の問題提出が、ますます四散させていくことになると杞憂している。

卑近な例をひとつ挙げてみたい。若宮啓文氏の東亜日報への投稿である。(彼は、日本国際交流センター・シニアフェロー、前朝日新聞社主幹)

タイトル:[東京小考] 私も「右翼の代弁者」と呼んで JULY 31, 2014 05:29

>「朴教授を「右翼の代弁者」と呼ぶ方々には、ぜひお願いしたい。それなら教授を支持する私のことも、これからはぜひ「右翼の代弁者」と呼んでいただこう。」

高橋源一郎氏は、2014年11月27日〈朝日新聞:論壇時評〉にて>「峻厳さに満ちた本である」と絶賛。あたかも不毛の山嶺で耐えながら書いたものであるかのように、〈謝罪〉〈原罪〉を昇華させるように駆け上がっていった。

また、WEBRONZAにて、奥武則氏も、>「著者の認識にはくもりはない」と絶賛。

「知識人」が、かくも朝鮮半島の歴史に疎いものかと暗澹としてしまった。

 理論の難所で座礁してしまった「歴史問題」を遡上するとき、歴史の「事実」を勝手に解釈しては歴史研究者から手厳しい批判を受けることになるのだが、朴氏は、すでに検証された問題を新たに主観的にとらえ直して、感傷的な色合いまで加味して情緒的に解説している。例えば、〈千田夏光〉作品からの多くの引用である。これは、今日では創作であったことが明らかになっている作品である。(加藤正夫千田夏光著『従軍慰安婦』の重大な誤り」『現代コリア』1993年2・3月号)

 おそらく朴氏は、「日韓関係相史」「日本近代史」に疎いだろう。だから、気おくれもせず堂々と、> 「日本の責任は明確だ」といいながら、「強制性はなかった」と力説するのだ。

日本帝国主義は、1876年『江華条約』後、軍事占領というプロセスを経て膨張する植民地主義のなかで権力を占有し、襲いかかりながら隷属させていった。被植民地、被占領地の人々は、あるとき稲妻のように到来してきた日本帝国軍隊によって、強制的に奪われ蹂躙されていったのである。なかでも「慰安婦」問題は苛烈な侵害だった。まがいもなく「強制性」はあったのである。

 
相矛盾する衝動のなかで崩折れる論理

朴氏は、国家主義批判によって「慰安婦問題」を語りつくしたいようであるが…とすれば、否応なく天皇国家主義批判が呼び出されることになるはずだが、以下のように分裂した記述が目立つ。

P303 >「脱帝国主義をかかげながら、脱国家主義にはならなかった」P306 >「日本の支援者にそのことが見えなかったのは、天皇ファシズム批判に執着したためではないだろうか。」これは、以下の文面のための説明らしい。P305 >「〈世を変えるため〉との運動の目標は、左右対立を激化させ、普通の人々まで巻き込んで、左右対立の背景が見えないまま、民族・国家間対立を深化させたのである。」

 甚だしい誤謬である。日本における国民国家の成立は近代固有のものであり、それは、明治維新以後、政治的、人為的作為が機能して(つまり、天皇制』を基軸にして)形成されたものである。朴氏は、>「左右対立の背景が見えないまま」と大上段から非難しているのだが、実は、書かれている〈右も左も〉矛盾点は明らかにされておらず、また、根拠が示されず、その内容は二つながらに正当性を欠いている。だから、被植民地出身の学者として「天皇ファシズム」をどのように評価しているのかを読み取ることはできない。この本を読破するとは難儀極まりないのだ。多くの人は、途中下車するのではないだろうか。 

 ところで、朴裕河氏は、そもそもが「帝国」と「帝国主義」を混同しているのではないか?「帝国」とは実に千年を超える長大な過去が堆積している。BC7世紀~4世紀の時期、ユーラシア大陸で精神的な変革が進められると、巨大な都市ネットワークがつくられて「世界帝国」が誕生し、そうして、それらの周縁ネットワークは、やがて巨大都市をつくり、それぞれの地域に「世界国家」を作っていったのである。ユーラシアの「世界帝国」、次いでモンゴル帝国中華帝国。16世紀以後「帝国主義」の膨張がはじまり、19世紀以後は「植民地争奪戦」が世界を圧巻していった。

ところでまた、「帝国」とは、今日の新自由主義グローバリゼーション下の「新植民地主義」を指して呼ぶ場合もあるのだが、朴氏には一事が万事において混同がみられ区別が明確に記述されていない。国家主義帝国主義、帝国と帝国主義

 
恣意的な攪乱か?

以下にも、矛盾点を数点列挙したい。厄介ではあるが、字面をとくと読んで比べていただきたい。

P251 >「日本は一九四五年の大日本帝国崩壊後、植民地化に関して実際には韓国に公式に謝罪したことはない。」と書きながら、P262では、>「自民党と官僚は法的な責任を認めず、国家資金から個人補償することに反対しました。しかし、道義的な責任は認めており、謝罪して、償いの事業をすることには賛成しました。和田春樹2008年)」

と書いている。支離滅裂である。この不連続性、この思考回路はどのような状態であるのか!歴史の事象が左へ右へ、あるいは右から左へと漂流をはじめ、雑然と拡げられたまま突如として折り重ねられて着地してしまうのだから面喰ってしまう。ところで、

P251では、 >「同じような境遇に処された日本人もまた、そのような謝罪や補償の対象にはならなかった。略…少なくとも〈法的〉には責任がないことになる。」

 と、突如として、だしぬけに脈絡もなく、戦時下の〈日本の犠牲者〉を並置して語るのだ。これは、手の込んだ留保なのか?あるいは、ナルシシズム的な歪曲なのか? いずれにしても、結局はツルツルと滑って日本の右派(中道)の誤謬と同じ位置に着地しているのである。しかし、すでに情緒的に魅せられている読者は、清濁併せ呑むように納得しようとするのだろう。

 また、P299では >「『女性の普遍的な人権』として訴えた結果、今世界における慰安婦問題では『朝鮮人慰安婦』はいない。『慰安婦のほとんどが朝鮮人』と言いながらも、『なぜ朝鮮人が多かったのか』について語れなくなったのである」>「その代わり韓国は、〈道義的に優位〉という正当性による〈道徳的傲慢〉を楽しんできた」

この着地に呆然とする。自身が被植民地出身の社会学者であるならば、まずは自説として「なぜ朝鮮人が多かったのか」を語るべきである。責任転嫁が甚だしい。ことさら左様に『帝国の慰安婦』を読むとは、ほんとに眩暈がする。難儀するのは、難解なためにではなく、著者の歴史意識の混乱、歴史認識の誤謬のためである。

さも複雑なプロセスを経たように言葉で飾りながら唐突にジャンプするのだ。ひょっとするとウカツなだけかと見えてしまうが…この混同には悪だくみがあるやもしれぬ。自らは微妙な立ち位置を保ちつつ、言論界における<立場取り>をしっかりやっている。

 一切の事態を複雑にしているのは、結論先にありきの〈或る結論〉に無理を押して辿り着きたいためである。書きながら、相矛盾する衝動のあいだで朴氏は自分自身の欺瞞から免れようともがいているようにみえる。

 『帝国の慰安婦』は、韓国の「慰安婦」を支援する運動体を執拗に誹謗中傷しているのだが、ここで、さて韓国ではどのように批評されているのだろうか?

是非とも、以下を参照していただきたい。法律家として的を得た論説をしておられる。朴氏は、この本の出版のために、自分は韓国で魔女狩りにあっていると訴えているのだが、訝しく見えてくる。

 「帝国の慰安婦」書評【感情の混乱と錯綜:『慰安婦』に対する誤ったふるい分け】(建国大学校 法学専門大学院 イ・ジェスン教授)

http://east-asian-peace.hatenablog.com/entry/2014/07/07/233504

 また、以下は、朴氏の学際的な立場を証言している。

「帝国の慰安婦」書評【アジア女性基金と日韓の学会、そして朴裕河 】(イ・ミョンウォン慶煕大教授のPPSS 6月17日記事より)

http://east-asian-peace.hatenablog.com/entry/2014/07/06/005231

  ハフポスト2014年3月6日【日本軍慰安婦問題を考える】(趙世暎東西大学特任教授、元韓国外交通商部東北アジア局長)は、水面下の日韓交渉について書いている。

 

アジア女性基金」の満身創痍と驕慢について

*〈アジア女性基金〉 正式には「女性のためのアジア平和国民基金」。元慰安婦に対する「おわびと反省」を表明した河野洋平官房長官の談話を受け、1995年7月に発足した。首相によるおわびの手紙と国民の寄付から償い金200万円、国費から医療福祉支援事業として120万~300万円を元慰安婦に支給。一定の役割を果たしたとして、07年3月に解散した。

参考資料 日本政府外務省:『慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策』と題して

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/ianfu.html

 大沼保昭氏は、誰もが知る「国際法学」の権威者であるが、【女性基金】立ち上げの構想段階から関わり、解散時まで粉骨粉砕して働いた、いわば中心的人物である。そうして、今日、もっとも「『慰安婦問題』と【女性基金】」について言説している学者である。大沼氏は、早くから「戦争責任」「戦後補償」問題に鋭いメスを入れてきたのであり、日本国家の背徳性については明晰に批判し、現在の日本の右傾化についても懸念を表明している。が、今日では、苛立ちをもって>「韓国の社会の余りにも変わらない、反日さえ言っていればいいという体質」(『アジア女性基金と私たち』P26)と痛烈に批判するようになった。

 最近では、憤懣やるかたなしというように、以下のように発言している。

>「そうして、韓国の支援団体とメディアは、罪を認めない日本から『慰労金』を受け取れば被害者は公娼になるとまで主張してこの償いを一顧だにせず、逆に日本批判を強めた。これは日本国民の深い失望を招き、日本の『嫌韓』『右傾化』を招く大きな要因となった。」(朝日新聞12月28日【慰安婦問題を考える:『アジア女性基金の検証を』】)

 慰安婦の真相究明に尽力した韓国の挺身隊対策協のような支援団体の活動を>「頑な償い拒否」、忌むべきナショナリズムであると強くバッシングしているのだ。

 読者の方は、ここで、ある符号に気づいただろうか?これは、朴氏の《挺対協》批判>「日本政府が作った基金への批判と攻撃」、また挺対協を支援する日本の革新左派運動批判と見事に連動しているのである。大沼保昭氏は、「『慰安婦問題』は何だったのか」(中公新書2007年)P225~226において、朴裕河氏を褒めたたえている。

>「…私も出席した日韓国交正常化40周年の記念シンポジウムでの『歴史認識に関する韓国側の報告はその多くが一面的で偏ったものだった。こうした憂鬱な面はまだ残っている。しかし、他方で、希望を抱かせてくれる新たな動きも芽生えている。その代表は、朴裕河教授の『反日ナショナリズムを超えて』(河出書房出版社2005年)と、本書でも繰りかえし引いた『和解のために』である。とくに後者は、『慰安婦』問題に一章を割いて、韓国側の過剰な対日不信、挺対協や韓国メディアによる被害者への抑圧などの問題を自省的にとりあげ、日本との和解のために、ともすれば自己を『被害者』とのみ考えがちな韓国民の反省が必要なことを的確に指摘している。」

功を為し、名を遂げると内面的緊張が弛緩し、ついにはそのダイナミズムまでが喪失していくのだろうか?

頭脳彫琢な大沼氏の文章は、いつも秩序をもって統一性をもって語るべく、細心に注意されているように感じていた。が、しかし、上の文章には呆然としてしまった。背景の違う多様な『言説』を水平化して、実は、入り組んでいる複雑な原因を特殊的諸原因の混沌のなかへと混ぜ込んでしまっているのだ。

しかし、実際には、【女性基金】は大沼氏が構想するようには動かなかったのである。それは、組織図を読むと一目瞭然である。当初より、【女性基金】は政府が設置し、役員は政府任命である。つまり、運営方針は政府が掌握していたのである。

少々分かりづらいのだが、理事会は〈意思決定機関〉であるとされていた。が、しかし実は、すべてが、政府任命の役員による【運営審議会】で決定されていたのである。しかも、運営審議会議事録は〈非公開〉さらに、国民基金であると名乗りながら、民間人は広報に徹するという役割分担。これは、大沼構想とはかけ離れたものであり、当初から危険が孕んでいたと伺える。

※【基金】運営審議会は、都合のよい情報だけ公開し,不都合な情報の開示は渋ったので、理事であっても全容は把握できなかった。

※【女性基金】の基礎から構想し、そうして最も骨を折った大沼氏は、当初一委員にすぎなかったために舵取りができなかった。(サハリン残留朝鮮人問題解決の最終段階にかっかていたために時間的に制約されていた。)しかし、1988年より、「国連『差別防止少数者保護委員会委員であったので、『慰安婦』からの告発は真摯に受け止めていた。

 日本政府の意向に振り回されるばかりか、発足当時から【女性基金】は批判にさらされており、何よりも「慰安婦」やその支援団体が拒絶するために何度も立ち往生した。まさに満身創痍のなかでの航海だったのである。漕ぎ出した以上、償いのための具体的方針に取り組まなくてはならないが、実態の把握が十分ではなかったために、「償い」の具体的内容の確定は困難を極め、次々と障壁にぶつかっていったのだった。

 
「女性基金」―その栄光は退廃の隠蔽である

 【女性基金】の理念は、大沼保昭氏によると、

>「戦争と植民地支配は政府だけの仕業、マスメディアや知識人を含めて国民一人ひとりが過ちへの自覚をもって償うべきもの」(「『慰安婦問題』とは何だったのか」P19)

であるから、募金活動を主要な課題にした。しかし、その方針の具体化「償い金の額」が決まるまでには内部に紛糾もあった。が、議論の末に以下のように決まった。

以下は、運営審議会委員横田洋三氏の発言>「予算の裏付がないものについて、政府としては責任ある答えを出すことはできないというものでした。」そこでどういう答えを出してきたかと、「日本の政府はお金が出せません。したがって国民からの寄附でやります。…略」(『アジア女性基金と私たち』P14)

つまり、日本政府が消極的だったという実情を吐露している。

追って、保昭保昭氏の発言。>「最初は、医療福祉事業はなかったんです。国民からの募金から償い金を出し、政府は基金事務局の費用だけ出すというだけです。」(『アジア女性基金と私たちP16」) 

ところが、実のところ、肝心の〈募金の調達〉は初期から困難を極め、その道程は苦渋に満ちたものであった。これは、そもそも、国民の支持が無かったという酷薄な事実を物語っている。

 ※>「償い金をいくらにするかということは、当時メディアが一番関心をもっていることだった。」(『アジア女性基金と私たち』P13~14  )

理念は、「官民が共同して償いを果たす」ということであったが、しかし、実際の募金は、官庁職域や労働団体に依存するものだった。(個人の寄付額はひじょうに小さいものであった。)

 当初から綻びを見せていた【基金】だったが、1996年5月、理事である三木睦子氏〉が呼びかけ人を辞任した。(『三木元首相夫人らが元慰安婦補償求め村山首相に要望書』『読売新聞』1995年7月1日)

大沼氏は >「これは痛手だった。」(「『慰安婦問題』とは何だったのか」中公新書P36)と悲憤に暮れたようである。三木氏はもともと大沼氏同様、〈国家補償〉を要望していたので政府の消極性には端から不満を漏らしていたのだが、「政府による反省とお詫びの表明」をめぐって、三木睦子氏の堪忍袋の緒が切れてしまった。

>「村山内閣と【女性基金】のあいだには、元「慰安婦」個々人に総理がお詫びの手紙を書いてそれを届けるという了解があった。」(「『慰安婦問題』とは何だったのか」中公新書P 36)

 ところが、1996年1月、村山内閣が退陣して、橋本龍太郎内閣に代わったのだが、橋本首相は、就任前、日本遺族会の会長でもあったためか断ったのである。これを知った三木氏は、首相に面会して問い糺したのであった。「政府の約束違反である」と抗議したのだった。(参考:『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』全5巻、龍溪書舎出版)

 ことさら左様に、【女性基金】は、日本政府の意向に振り回され続けることになったのである。しかし、「事実上の国家補償」と位置づけていた大沼氏は、医療福祉事業をなんとしても実現したいと奔走した。ここにこそ政府出資を仰ごうとしたのだ。しかし、政府はいつもウヤムヤであった。その上、事務局もまた消極的だったのである。運営方針が政府に握られている以上、このままでは自己の構想が実現されないと観念し、結局2000年、理事として運営に携わることになったのである。が、しかし、その頃には【基金】の運営は行き詰まっていて二進も三進もいかない状況だった。

大沼氏は、【女性基金】は、村山政権の政治的力学の中でこそ提案されてたものであり実現できたものであると言っている。

> 「当時の日本政府において望みうるギリギリの線であった。」(「慰安婦」問題とは何だったのか:中公新書

 資料を読むと、当初から内部に矛盾をかかえ、その実情は統一されないバラバラなもので、手かせ足かせを自らひきずって進むようなものだった。

同上P176 >「将来女性の尊厳の蹂躙を防ぐための歴史の教訓とする事業については大きな問題が残っている。日本政府自身の政策として『慰安婦』制度の実態を国民に伝え、将来への糧とする教育・啓発・広報活動はきわめて不十分だった。繰り返し述べた『アジア女性基金任せ』『首をすくめて嵐の通り過ぎるのを待つ』という日本政府の姿勢は、こうした不十分さを如実に物語る。」

 時の日本政府は、「基金」の活動を公然としたものとして示しながら、当人たちは穴蔵の中から監視しつつ、将来のための方策を隠密に陰険に練っていたというわけである。

しかし、また一方では>「彼女らを支援し、日々彼らに接している支援団体、運動をリードしてきた学者やNGO、ジャーナリストら」をやり玉にあげて非難している。

同上P163 >「法的責任は道義的責任に優るのか」という価値序列を想定することには根本的な問題があるのである。支援団体の「被害者が求めているのは日本政府が法的責任を認めることであって、道義的責任というのはごまかしだ」という主張には大きな問題がある。」と、一党両断に批判して、そうして、P164 >「真摯な、心のこもった、国家として正式な謝罪」が、「法的責任を認める政府の謝罪」

 であると弁解めいたことを言っている。

 
日本は何をやったのか、何をやらなかったのか

 日本政府は、「法的には解決済み」であると主張しながら、【女性基金】が義務を超えた取り組みをしてきたかのように振舞っている。が、しかし、ほぼすべての展示資料が英訳されていることからも察っせられるように、この発信はむしろ世界へのメッセージなのだろう。大沼保昭氏は今般、ますます、事実の断片をとらえて、「頑な償いの拒否」をクローズアップし、痛烈に批判している。いよいよ憤懣抑えがたいようである。

> 「韓国の支援団体とメディアは、罪を認めない日本から『慰労金』を受け取れば被害者は公娼(こうしょう)になるとまで主張してこの償いを一顧だにせず、逆に日本批判を強めた。これは日本国民の深い失望を招き、日本の『嫌韓』『右傾化』を招く大きな要因となった。」朝日新聞デジタル20141228日)

つまり、相手の「忘恩」というものを非難しているわけなのだ。犠牲を顧みず誠心に尽くしてきたというのに、【女性基金】は日本政府の隠れ蓑であると四方八方から非難されたのである。「過去、贈与したではないか、その債務感を忘れたのか」という恨みにも似た感情をもってしまうことは理解できなくもない。

 しかし、償われるべき被害とは何か!〉について思いを致していただきたい。1991年、金学順さんの告発は、日本人にとってはハンマーの一撃であったが、彼女は〈自己犠牲〉という行為をあえて引き受けて日本を訴えたのである。それは捨て身の問責という過酷なものであった。戦場で凌辱されつくされた「慰安婦」が受けた苦痛とは、そもそも加害者の苦しみによって支払われることなどあり得ない〈交換などあり得ない〉。

 慰安婦」たちの今日の活動を見詰めるならば、人生の最終章にきて、もはや何ら所有することなど求めてはいないことがわかる。〈銀の盆に盛られた金色の果物〉など求めてはいないのである。私には、古い掟を破って、新しい生き方を求めているようにみえる。今や、過去の迷いを断ち切って一つの方向を選び取り、これに賭けるというのではないだろうか。そのために、誠心な変わることのない謝罪を日本に求めているのではないか。

 大沼氏は、しばしば、1995年「戦後50年国会決議」を自画自賛している。しかしあの時、私は、日本はとうとう最後のチャンスを失ってしまったと悄然とし憮然としてしまった。それは、賛成多数という中身の問題にある。多数といっても定数の半数以下であり、また最大野党は欠席。与党でも「不都合のために」と私用を理由に欠席する国会議員が少なからずいた。

その反対者たちは、当然のように翌年には【新しい歴史教科書をつくる会】を結成し、また日本遺族会が中心になって「戦後50周年国民委員会」を結成し熱心に活動を開始していった。その背景には、「敗戦国」特有の、つまり戦勝国への対抗意識を根にもった〈敗戦後〉の日本人としての自尊心、ナショナリズムというものがあったように思う。※因みに現日本首相〈安倍晋三〉は、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(1997)を結成し初代会長におさまった。

 何がそうさせたのか!それは、ある陣営の勇み足から俄か作りしたためである。「かたち」をつくることに専念して侵略と加害のもっとも具体的で本質的な部分を掘り下げないままに俄か作りしたものだったようである。あの「謝罪文」は、〈熟慮の末に書かれた〉とあるが、断章を選び取って書かれたものらしい。欧米列強の「植民地支配や侵略行為」を先に上げて、後進国日本の止むを得なかった行為を反省すると述べているのだ。反省するといいながら、表現は「歴史観の相違を超えて」と断り書きをしている。それは東アジアの被害者からみれば「一べつをくれただけ」だけのものでしかなかっただろうと思う。

>「日本の『嫌韓』『右傾化』を招く大きな要因となった。」(朝日新聞デジタル2014年12月28日)

と書いているが、大沼氏には是非とも〈再考〉願いたいものだ。その排外主義とは戦前から継続しているものではないだろうか?

大沼氏は、米国コロンビア大学での「慰安婦」問題における講演を述懐し、悲喜こもごもの体験だったと語っている。

>「他国に例をみないかたちで償いを行ったことを高く評価してくれた。ひとりだけ、同大で学んでいた韓国の若手外交官が、『結局あなたがたは責任を認めようとしない日本政府に利用されたのではないか』その会場発言に大沼氏は次のように応答している。>「わたしたちが政府の一部に利用されたかどうかは重要な問題ではない。その結果、元『慰安婦』になにほどかのことができたのではないか」(『慰安婦』問題とは何だったのか:中公新書P202)

「行き違い、行き逢えない」応答である。

大沼保昭氏の今般の【挺隊協】(韓国挺身隊問題対策協議会)への批判は情念にあふれている。『俗人の思想』を著しながら、ほんとうには民衆に疎いように見える。あちらこちらで「韓国社会の『反日さえ言っていればいい』という体質」に絶望感を感じているといった発言が、「慰安婦」を支援する運動にいかに波紋していくかに思いが及ばないようである。

以下は、朝日新聞DIGITAL2014.4.16に掲載された、小沼氏の「現在と位置」である。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11086600.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11086600

 ――日本人は健全な愛国心を持てますか。

 「戦後日本の歩みは世界で類をみないほどの成功物語でした。日本にはそれだけの力がある。どんな人間だって『誇り』という形で自分の存在理由を見つけたい。メディアがそれを示し、バランスのとれた議論を展開すれば、日本社会は必ず健全さを取り戻すと信じています」

敬虔なシニシズムとも呼びたいようなヒューマニズムは、時に敬虔な「国家主義者」と結託する、と何かの本の一節にあったが、私は暗澹としながらその章句を思い出した。

話してはならないこと、聞いてはならないこと

秦郁彦氏は自らも理事だったのだが、【女性基金】の内情を暴露するように批判している。

>「問題は…略…関係者のほとんどが不満足な気持ちを捨てきれず、対決ムードが充満するなかで、見切り発車した点にあったろう」(『慰安婦と戦場の性』P289)

ところで、YouTubeに【下村満子秦郁彦対談 「女性基金」「慰安婦問題」深層NEWS「慰安婦問題」を考える】が載っている。(2014.8.20)一部を引用しよう。

下村満子氏の発言

>「ところが、私の感じから言うと、この方たち(挺対協)は慰安婦をタテに取って、慰安婦というこの方たちを利用してね、ハッキリ言って慰安婦のおばあちゃんの方たちのことなんか、ぜんぜん考えてないんですよこの方たちは」

 下村満子氏は、1997年、「アジア女性基金」の理事として被害者女性に償い金と首相からの手紙を手渡したのだが、『デジタル記念館』資料に、その時を回想を書いている。

>「こちらもすごい衝撃で、畳の部屋で和食のテーブルに向かい合って座っていたんですけど、途中で私は向こう側に行って、彼女を抱いて、『ごめんなさいね、ごめんなさいね。』って、一緒に泣いてしまいました。…略…そしたら、彼女がわんわん泣きながら、『あなたには何の罪もないのよ。』って。『遠いところをわざわざ来てくれてありがとう』という趣旨のことを言って…略。」

 憐憫の情は、たちまちのうちに差別に反転するのである。これはナルシシズムの罠とでも呼べるものではないか!これは、たんなる違和感、先入観とは別物であることを認識したい。参考のために、社会心理学者の考察「偏見の『理論化』」から引用する。

>「…先入態度は、もともと受け身に取り入れられ、そのまま反省する機会もなく、いわば惰性が続いているが、なにか特別な体験とか威光のある意見に出会うとたやすくこわれ、あるいは変えられる。これに対して偏見態度は、…先入意識が『理論化』され、きたえられる結果、固定し容易に変わらない態度である。」(南博社会心理学入門』1958年P133~4)

 かつて、宗教哲学者高橋敬基牧師より「実践の哲学」を学んでいたとき、氏は時に驚くような言葉で教えてくださった。「無知の善意は、場合によっては人を虐殺することさえある。」「差別意識が『科学性』と結びついたとき、この世は地獄となる。」私的会話であったから、強烈な表現で話されたたが、若かりし頃の私がつんのめるように実践に明け暮れているとき、いつも傍らから注意を促してくださった。             (つづく)

《独白》私は、「歴史」は実証主義でなければならないと考えてはいない。しかし、これが事実であると書く場合には「正確は義務であって美徳ではない」(ハウスマン)を肝に銘じている。しかしまた、知られている僅かの事実がすべて歴史上の「事実」であるとは到底考えられない。だから、まだまだ「知っていないと知り」謙虚でありたい。

ひと頃、日本でもヘイドン・ホワイトの「歴史の物語論」が流行ったことがあった。興味深く読み参考になったのだが、しかし、ポストモダニティ理論が陥るであろう危うさを大いに考えさせられた。「固有の経験」についての説明が過剰に一般化される傾向に危惧するのだ。

「帝国の慰安婦」を読んで、朴裕河氏は、構築主義で「慰安婦」問題を読み、さらに調停者にまでなろうとしたのだろうと感じた。それは、まるで上野千鶴子氏の「ポスト構造主義的」歴史学批判にならって書いているかのようである。しかし、上野氏ほどに「歴史哲学」を読んではいないようで記述は矛盾に満ちている。引用される資料は、文学作品さまざまと、『証言 強制連行された朝鮮人慰安婦たち』(挺隊協)からのものであるが、知られている僅かの事実を主観的に捉えて、好きなように『証言』の真偽を取り混ぜて書かれている。

いずれ、私は「歴史記述における言語と表象」というテーマで記事を書きたいと思う。今回、第2回目の記事を書くにあたって、もっとも悩んだのは表現である。表現は言葉によって表象して書かれるのだから、客観性を担保にするとき、ひじょうに難しいものと思い知らされた。

以下に、私が信頼する資料を紹介させていただきたい。

・資料『政府首脳と一部マスメディアによる日本軍「慰安婦」問題についての不当な見解を批判する 』 〈歴史学研究会委員会〉20141015

 ・資料 〈声明『政府首脳と一部マスメディアによる日本軍「慰安婦」問題についての不当な見解を批判する』

http://rekiken.jp/appeals/appeal20141015.html

〈余白〉

秦郁彦氏の著作『慰安婦と戦場の性』。日本政府によって英訳される計画があったが頓挫していたと著者が明かしている。原因は、内閣広報官から海外の読者を刺激しかねない部分をカットするよう要請されたからだということである。

※お詫び 前回の予告の記事のすべてを書くことができませんでした。煩瑣な用事に追われていますから少しお待たせしますが、3月初旬には書くつもりです。

 

 

 

朴裕河『帝国の慰安婦』を批判する(1) 〈拒絶するという序列化のロジック〉

 1、『逸脱する』というロジック

 序文に、>「『朝鮮人慰安婦』として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませることでした」とあります。

穏やかで、清冽な姿が思い浮かびます。と、しかし、読み始めて、間もなくには躓いてしまいます。引用されている文学作品と「歴史」との乖離が甚だしいために極めて早くに疑念を抱かせるのです。それは関節が脱臼するような不条理です。

 第一章、「強制的に連れて行かれて」いったのは誰か(P23

 端から、「慰安婦」の強制性の有無という主題に入ります。ところが、主題である「慰安婦」の強制性の是非という箇所にくると、急転直下、緩慢な婉曲語法に変ってしまいます。最も省察な磨き上げが期待されている主題郡「歴史問題」となると、なぜか、力点が移動されて焦点が隠れたり現われたりとすり替えられてしまうのです。何のために?

 この本の特徴は「文学」と「政治」が、まるで横糸と縦糸のように語られていることです。文学の描写を、あたかも「事実の堅い芯」でもあるかのように引用して情緒的に理念を語っています。

*以下に、引用されている主な作品を紹介します。

千田夏光従軍慰安婦』&『従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』 

・古山高麗男『蟻の自由』 

森崎和江『からゆきさん』(朝日文庫)

田村泰次郎の小説「春婦伝」

 P60 >「そこに確かに存在した自発性を無視することはできない。」と書き、すかさず巧妙に慰安婦は売春婦だったのだからと、これでもか、これでもかと事例を並べていきます。

 P62、>「もちろんこれは日本人慰安婦の場合だ。だが朝鮮人慰安婦もまた『日本帝国の慰安婦』であった以上、基本的な関係は同じであったとみなければならない。」

 

 P74 >「社会の差別的視線にさらさられていた彼女たちが、誇りを感じたとしてもおかしくはない。…略…『慰安婦』という存在は、初めて自分の居場所を日なたに作ってもらえたことでもあったはずである。」

 

 P77 >「それはもちろん国家が勝手に与えた役割だったが、そのような精神的『慰安』者としての役割を、慰安婦たちは勝手に果たしてもいた。」

 他者と対話し、違和を発話して和解の道を探りたいと言いながら、言説は、目論見論的な考察が目立ちます。まるで未聞の概念が生み出されることを妨害するかのような強い表現です。これでは、専門的な知識のないものは煙に巻かれてしまうでしょう。

 

2.優越者の寛容とナルシシズム

 サブタイトルが「蟻の共感=憐憫と涙」であるとは象徴的です。(P87)

P89 >「僕は、兵隊は、小さくて、軽くて、すぐ突拍子もなく遠い所に連れて行かれてしまって、帰ろうにも帰れなくなってしまう感じから虫けらみたいだと思います。…略…兵隊と慰安婦の出会いなど、蟻と蟻との出会いほどにしか感じられないのだ。また、僕と小峰との結びつきにしても、たまたま同じ目薬の瓶に封じ込まれた二匹の蟻のようなものではありませんか。」(古山高麗男「蟻の自由」『二三の戦争短編小説』)                                       

読む者は、どこかに埋め込まれている母体のような郷愁というイメージが呼び起こされ、そうして、人間の官能的な悲しみに寄り添うことになります。しかし、憐憫の情とは、警戒するべきナルシシズムです。なぜなら、その疾しい良心が見とがめられると忽ちのうちに差別に転じてしまうからです。

 「文学」とは、言葉を通じて無限な意識の根源に触れようとする営みであると思います。人間を叙事詩的に描写し、倫理的目的を内包させて「歴史」を語るのも文学です。ですから「文学」を専攻した朴氏にとっては積極的な問題構成であるのでしょう。

 朴氏の手法とは、仮装の中核を軸にしながら悲しみを露わにし、読み手の共感をメンラコリーに吸収していくというレトリックであるように思います。

 さて、私は、ここに優越意識を根に持った「恩恵的関係意識」というものをみます。「~てもらう」や「~てくれる」は、恩恵の受け手が抽象化されているために恩恵の与え手は、受け手の上位とされるのが常です。それは、「~てやる」と言っているのと同じなのです。それは「優越者の寛容」とよぶべきものであり自己瞞着が背後に見えます。

世界の秩序は、いつも「内と外」、「上と下」、「男と女」、「敵と味方」、「マジョリティとマイノリティ」の間の差異を誇張することによってジェンダーの階層秩序を打ち立ててきました。社会学者である朴裕河氏が差別の構造的暴力に無頓着であるとは残念無念です。序文にある麗しい呼びかけの声は、偽装のヴェールだったのでしょうか?象徴的比喩的な表現である〈虚〉を〈入れ子構造〉のように交差させる手法は最後まで続きます。まことに巧みといえます。

 P92 >「目の前にいる男性は、あくまでも〈同族としての軍人〉であって、〈憎むべき日本軍〉ではない。彼女が軍人を自分と変わらない〈運命の者〉として共感を示すのは、彼女に同志意識があったからであろう。」

 

P93 >「慰安婦と兵士が共有する憐憫の感情も無化されることはなかった。国家の抑圧の中で持っていた共感や憐憫の記憶を無視したまま、抵抗や憎しみの記憶だけが受け継がれてきたのである。」 

これらは、『証言 強制連行された朝鮮人慰安婦たち』(挺隊協)から引用しての朴氏の解釈です。史料は所謂《オーラルヒストリー》です。それらは「記憶を歴史にする」ために書かれた「口述歴史」であり、貴重な証言ではあるのです。しかし、不注意な人が選択して類推するとき、しばしば陥穽の危険があります。なぜなら〈史料的蓄積〉が未だ不十分なために客観的事実とは云いがたいからです。

『証言』集からの引用は多数であり、骨を折って認識を示されたようですが、しかし、それらの文脈は、無意識的にも虚偽・錯誤になってしまっています。特殊的なものと一般的なもの、経験的なものと理論的なもの、客観的なものと主観的なものの境界が消えているのです。

《事実》である証明のためには、原理と事実の間を分析して検証しなければ客観性があるとはいえません。そのためには、原理のための証拠も手に入れて、さらに洞察して仮設の再構築をしなければならないはずです。著者は、その経験的資料から「仮説」を立てていますが積み重ねによる相互的な交渉による「事実の確定」までは、及んでいないのです。

私は、歴史記述は実証主義でなければならないとは考えていませんが、しかし、被植民者が自らを晒しての証言、また、文学作品中のセリフを〈歴史の事実〉であると情緒的に書く手法には憤懣やるかたありません。

ことさら左様に、朴裕河氏の限界や偏見が露呈されています。まるで新自由主義史観論者に擦り寄った考察のよに見えてしまいます。

 

3.天皇国家主義とリベラルな立場からの頽落

 

ところで、本の扉を開く前に、表紙の《帯》を読んだとき、仰け反ってしまいました。

>「本来、フェミニズムとポスト・コロニアリズムに基づく『国家』批判だったはずの運動を、批判対象を『日本』という固有名に限定したことで、慰安婦問題を〈男性と国家と帝国〉の普遍的な問題として扱うことを不可能にした」

 と書いているのです。

 その表現は短絡的に飛躍したもので、政治という修羅の欄外に居たものが、ストレッチ無しで突如アウトボクシングに出てきたようなものです。すでに、この帯の一文から、朴ユハ氏の「歴史意識」が透けて見えてくるようです。

 『第二章』P131からが、真骨頂の主張であるように思いますが、この辺りから「事実」を踏み越えて自説を巧妙に説明していきます。

 歴史問題ばかりでなく、司法の問題、国際環境、韓・日・米間の問題へと紆余曲折して横断しますから、読むのは厄介になります。困難というのは難解なためというのではなく、混乱と錯綜のためにです。とりわけ、「日韓併合条約」、「日韓基本条約」に関する歴史の記述にいたっては目に余る惨状です。

 以下では、朴氏が主題とする「ジェンダー」、「ポストコロニアル」理論の破たんを見てしまい唖然としました。具体的に示します。

 P129 >「日本が謝罪すべき対象も、まずは彼女たちではないだろうか。性や姓名を〈天皇のために〉捧げなければならなかった朝鮮の女たちに。」

と書いていたものが、第4部P283以降、変説します。

P299 >「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」と、或る慰安婦が話したとして非難し、さらに、

P300では、 >「屈服させたい―ひざまつかせたい欲望は、屈辱的な屈服体験による強者主義でしかない。」

 

> 「それは、植民地化の傷が作った、ねじれた心理構造というべきだろう」

> 「しかし強者主義的欲望から自由にならないかぎり、かつての帝国の欲望を批判できる根拠はなくなってしまう。」 

 今日のジェンダーや人種、セクシュアリティ問題を、ポスト冷戦の国際社会における「新植民地主義」「構造的暴力」「従属論」「経済的物質的富の不均衡な分配」の観点をもたずに感覚的に言説するのでしょうか?

P299に引用されている慰安婦天皇批判とは、たしかに無秩序な疾風怒濤というものでしょう。日本人の多くは困惑するばかりと思います。しかし、この咆哮のような叫びは、少しも形をととのえないうちに砕け散り奔流するように発話されたものであったと、私は理解したいのです。

慰安婦」は日本の敗戦後、遺棄されたままであり、また自国の政府から保護されなかったために、1990年まで半世紀近く、生存するための必要の急迫のもとに立たされ続けたのです。慰安婦が、世界に対する配慮や世話などという〈世界との関係性〉から遠ざけられていた背景というものに思いを致すべきではないでしょうか?

バランスが失われるほどまでに心情が硬化するとき、一般に、人間には選択の自由がありません。 以下は、エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』「自由、決定論、二者択一論」から引用です。

人間は因果律により決定づけられている。選択の自由に関する問題は、無意識的な力がわれわれを決定づけるということを考慮しなくてはならない。

〈筆者のまとめ〉いかに人間が決定因子である本能と社会的な力との闘いにおいて弱いものであるかを認識しなくてはならない。(人間は、背後で働く諸力に無頓着であるために、自分の欲求を動機づけるものには気づかず『自由』への幻想をもつのだ。『自由』への幻想をもつのだ。

彼女たちは下降し下降し…絶望の深淵に足場を築くしかなく、ついにその垂直面に突きあたったとき自らの「経験」をむんずとつかまえて起き上がってきたのです。そうして私たちに見直しと決断を迫ってきました。

朴氏にとって、「わかる」とは、言葉の上で肯定される常識や良識や教養なのでしょうか?「慰安婦」が歴史の裂け目から叫ぶ熱情に揺さぶられて文化的実践に導かれた知識人は多いのですが、朴氏は大衆的感情を嫌悪するのでしょうか?

 ポストコロニアル理論を確立したサイードは、しばしば「誰が語る力をもっているのか、それは何についての語りか、またいかなる時に語れるのか」と言いましたが、「慰安婦」の発話とは、多くの人に求められているものと思います。

ドストエフスキーの小説は、貧しい人が、破滅を覚悟しても枠を超えて「つつましさ」から変貌していく様をドラマティックに描いていますが、古今東西の人々が感銘を受けています。が、朴氏には、そのような「感性」が欠如しているようです。グラムシは、よく「愚かにも知識人は往々にして《感じもしないで知る》ことができると思い込んでいる」と痛烈な分析をしていますが、朴氏には「健全な核」というものが欠けているように思います。

つまり朴氏は、本の帯に

慰安婦」の話に耳を傾けて寄り添い、>「《男性と国家と帝国》の普遍的な問題として」>「渾身の日本版」を書いた

といっていますが、実際には、ただ深淵をまたいだにすぎないのです。あたかも自分の愛を「慰安婦」に向けることから取り上げ、ごく僅かな「慰安婦」と親密になったといい、私だから打ち明けられたといっているのですが、実は、羨望と功績を得ようとしたように思われます。

P13 >「本書は図らずも、そして遅ればせながら、彼女の思いを代弁する本になりました。」

と書いるのですが、掴み取ろうとして熱心になったのは、朴氏自身が、そこから何かを手に入れることができるだろうと欲望したからに他なりません。「慰安婦」への配慮、尊敬、責任、知識を著者自身のほうへ向け変えさせようとしたのです。これは、意識的になされたものではないでしょうが、各所に無意識の〈潜在する敵対意識〉を読むことができます。事実、多くの分析には他者の尊厳への尊敬が欠けてます。

>「『帝国の慰安婦』たちのなかには日本兵と『愛』と『同志意識』で結ばれていた者もいた」「愛と平和が可能であったことは事実であり、それは朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が基本的には同志的な関係だったからである」

 

 P145 >「その慰安婦は、行き違いがもとで、愛した日本兵と別れてしまったという昔の恋愛談を話してくれた。彼女に『ナヌムの家』が居心地悪かったのは、そこが愛の記憶をも抱き留めてくれる空間ではなかったからだろう。」 

 そうして、そのような慰安婦が呟いた「美しい記憶」を「挺対協」や「ナヌムの家」は、抑圧し忘却させたと主張しているのですが、針小棒大がすぎる表現です。

 つまり、歴史の全体的傾向を把握することを放棄して「疑似経験主義」的な方法でセンチメンタルに《ノイズの消去》《再生産される記憶》《圧迫の矛盾》などと題して書かれているのです。それらは、「社会史」を「経済史」から切り離して分析しているという《知》の分裂です。

朴裕河氏は、共感を期待して、ある部分の事実を強調し、現実の課題(それは、緊急避難という切迫するもの。時間の猶予が無い!)から故意に目を逸らそうとしています。このような文学的読解は多分に「つつましい人々」を目くらませにしてしまうことに成功してきました。さらに、具体的に示します。

P303  >「脱帝国主義をかかげながら、脱国家主義にはならなかった。」

P307  >「日本の支援者にそのことが見えなかったのは、天皇ファシズム批判に執着したためではないだろうか。」

 私は、朴裕河氏に問いたい。そうして、明確な返答を欲します。

 【ポスト・コロニアリズムと、

                       天皇ファシズム批判に繋がりは無いのか?】

 日本のポストコロニアリズムの論者の多くが、戦前と戦後の継続を保証した要因として象徴天皇制を指摘しているとは周知のことです。私は、以下に、日本の知識人の「天皇制批判」を引用して反駁します。

 歴史家〈尹健次〉

> 「戦争遂行の最高責任者が何の責任も取ることなく戦後も「象徴」として君臨したことが問題の核心であり、その亡霊のもと一木一草にまで宿る天皇制」

 日本の敗戦は、多くの日本人が慙愧の思いで迎えたのですが、直後より日本の知識人は、次々と天皇の戦争責任を追及していました。

 丸山真男が著した「超国家主義の論理と心理」(『世界』1946年5月号)では、

>「選択の方向をひたすら権威の決断にすがる忠実だが卑屈な従僕」

 である日本人は、あくまで被害者になりすまして事実から逸れようとしているとして、国民を叱咤しました。そうして、1956年著『戦争責任論の盲点』では、躊躇なく断罪しています。

> 「天皇のウヤムヤな居直りこそ戦後の『道義頽廃』の第一号であり、やがて日本帝国の神々の恥知らずな復活の前触れをなしたことをわれわれはもっと真剣に考えてみる必要がある。」

 丸山の痛烈な天皇ファシズム批判が、戦後のリベラル左派の運動に大きな影響を与えたとは知られていることです。

 1946年、天長節の日、東京大学総長〈南原繁〉は、後ろめたい感情を抱きつつも、勇気を奮って演説しました。(以下、『祖国を興すもの』から一部抜粋)

>「御宗祖に対し、また国民に対し、道徳的精神的御責任を最も強く感じさせられるのは陛下であると拝察するのであります。」

 また、同年春、京都大学教授であった〈田辺元〉は、『政治学の急務』にて、醒めたしたたかさを秘めつつ論じています。

>「天皇こそ戦争に対する責任の帰属中心であると外国人が思惟するのは、決して理由なしということは出来ない。」

 遅れて、〈吉本隆明〉も『文学者の戦争責任』(1956年)にて丸山真男を非難しつつも「天皇ファシズム」を痛烈に批判しています。

加藤周一〉も1946年3月「天皇制を論ずー不合理主義の源泉」(『大学新聞』:財団法人大学新聞社 3・21懸賞評論当選作)を著しました。ペンネームではあったのですが、天皇軍国主義日本を猛然と攻撃しました。

 1946年、目覚めたとはいっても、その思想の内実はまだ脆弱なものであり、《自由と必然性の問題》、あるいは《自由意志と決定論の問題》を自己矜持としていたとは言い難かったかもしれませんが、しかし時代の束縛の中で、リスクを覚悟しての言動であったことは確かなことと思います。

 

何故?「ある場合には非難し、 

        他の場合には非難しないのが合理的なのか」!

 朴裕河氏は、日本近・現代の「文学」を研究されたようですが、先入観から偏見をもって「天皇国家主義批判」を読まれているようです。

 

      第2部「植民地」と朝鮮人慰安婦〈第2章〉『新しいアジアのために』―敗戦70年・解放70年  P 297~

ここに、朴裕河氏の「歴史認識」が凝縮しています。

P305 >「運動は、救われるべき慰安婦たちの多くを置き去りにして、日韓が(後にアメリカも)連携した〈左翼〉運動が、日本の右翼を制圧した形となった。つまり、〈世界を変えるため〉という日本の運動は、左右対立を激化させ…略…民族・国家対立を深化させてきたのである。」

 P142 >「朝鮮人慰安婦は、まぎれもない日本の奴隷だった。」

P142 L10.11>「しかし、慰安婦=『性奴隷』が、〈監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された〉ということを意味する限り朝鮮人慰安婦は必ずしもそのような『奴隷』ではない。」

 P142の記述の分裂は目を覆いたい惨状です。《必ずしもそのような》という一句によって説明できるものではありません。

また、天皇ファシズム批判に執着」したために、「運動」は失敗してきたと誹っているのですが、それは、大いなる誤謬といわなくてはなりません。

 ここで私の私見を述べますが、昭和天皇の「戦争責任」は免れないことだと考えています。<ポツダム宣言>全文を読むと分かります。

日本は、「天皇の国法上の地位を変更しないこと」を条件にポツダム宣言受諾の回答を発したのですが、実は舞台裏では、連合国のイギリス、オーストラリア、ソビエト連邦中華民国天皇の戦争責任を追及し一部は死刑にすべきと主張していたのです。

 日本の帝国主義は19世紀後半以降、アジア太平洋に多大な災厄をもたらし、被侵略国、被占領地では粘り強い果敢な抵抗運動が繰り広げられました。時の「天皇」が批判されるのは、まさに当為と思います。

 朝鮮の分断(38度線)は、日帝降伏前後の米•ソ対立からくる米国の対ソ封じ込め政策の最初の展開で決められたことであり、朝鮮は日本のために犠牲になったのです。

                                        (参考:藤村信『ヤルター戦後史の起点』岩波書店p321

ところで、朴裕河氏は、「運動」批判のための反論資料として、〈柄谷行人〉『個人を共同体から解放し、帝国=コスモポリスの人民とする』から4行のみ抜粋しているのですが、読んでも脈絡がわかりません。

 『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』では、「資本主義」批判を雑駁に横断して書かれています。そうして時に「資本主義」を批判するのですが、実は、近代日本の「資本の原始的蓄積(原蓄)過程」について疎いように見えます。

 日本近代は、欧米の外圧を受けつつ急速に膨張していく諸矛盾を外へ転嫁するために露骨な侵略主義に走っていったのです。「江華条約」によって道を開かれた初期居留商人は、世界市場と朝鮮市場の間に存在する価格体系の差を利用して巨利を得ました。。その利潤が、第一銀行などを通して日本に還流され〈原蓄過程〉を促進していく一要素になりました。

 ことに産金国である朝鮮の金は国際価格に比べてはるかに安価に日本に搬出されたのです。日本の「金本位制」の基礎とは、朝鮮の金と日清戦争による清国からの賠償金によって確立されたのであり、天皇はその侵略主義のシンボルとされていたのです。著者は、日本の「近代史のなかの天皇」を俯瞰しておられないようです。

 日本の素朴な人々は、雲の上を仰ぐように幻視の世界の天皇に囚われてきました。それは、民衆の遠隔願望(困窮すると天子さまの救いに頼る)を巧みに利用する支配者の叡智というものでした。明治維新尊王攘夷には「天皇」というシンボルが必要でしたし、また明治政府が、自由民権派の主張を崩していく場合も「内に民権を争うよりも外に国威を張れ」と云い、天皇をシンボルにしたのです。

ところで、知る人ぞ知るですが、そもそも「万世一系」というのがフィクションです。実は「大化の改新」以降、何度も血筋は入れ替わっています。

 第4部P283以降、散発的に「帝国主義」「資本主義」について言説されていますが、関係の齟齬が気になります。そこで少々、マルクス資本論』第一巻第七編〈資本の蓄積過程〉第23章)を参考にして、【近代資本主義と帝国主義戦争】について概説したいと思います。

資本主義が膨張していき剰余価値が吸収されていくとき、その深淵に「歪曲、痙攣、爆発といった、一言でいえば極度の暴力の運動」を導入していくためにブルジョア階級は比類のない隷属状態をうちたてていき、窮乏、抑圧、隷従、堕落、搾取の度が増大されていきます。こうして19世紀後半、世界帝国主義の時代は「資本の蓄積経済自体の諸矛盾」を外へと転嫁するために侵略戦争へと向かっていったのです。

後発の日本国は植民地拡張を急ぐために、ネイションとしての結束の強化をはかり、上からのナショナリズム操作「逆転した愛国主義」(自らのネイションに対する愛情を、他国への敵対意識に転化させてネイションとしての結束意識を強化する)をいっそう推進していきました。急進的な社会変革のための願望のシンボルとして「天皇」は必要とされたのです。

被侵略国、被占領地の人々は日本帝国主義の甚大な、かつ残虐な暴力と横領に苦んだのです。それは塗炭の苦しみです。その責任が、最高責任者である天皇に問われたのは至極当然と思います。

ところで、朴裕河氏自身は、〈天皇ファシズム批判〉を批判しているのですが、自身は、昭和天皇の「戦争責任」について一切言及していません。不可思議なことです。

                       

5.意識性の萌芽と「カタルシス」的契機

 この本では、「韓国挺身隊問題対策協議会」をいたるところで痛烈に批判しています。が、無理やり闘士にされて利用されてきたかのように書くとは侮辱であるように思います。

 167 >「韓国社会や支援団体は、あるがままの当事者よりも、当事者を通して、独立的で誇り高い朝鮮やその構成員としての自分たちを見出そうとしてきた。」

 第二章「記憶の闘いー韓国編」では、後述されるP303>「脱帝国主義をかかげながら、脱国家主義にはならなかった。」 P307、>「日本の支援者にそのことが見えなかったのは、天皇ファシズム批判に執着したためではないだろうか。」との間に混乱・錯綜という矛盾があります。

  ※読者には、この乖離が見えにくいと思われます。少々脱線しますが説明します。本書ではP303に僅か5行に抽象化されて記述されている「脱帝国主義」と「脱国家主義」と「脱軍国主義」。ここまで読むと、著者は、そもそも、その概念を把握しているのかどうかと疑問に思えます。

既存の理論を混ぜたり、異なったパターンに配列し直して機械的に併存させているだけで主軸が見えてきません。あえて苦言を呈しますが…その中身は〈ジャガイモ袋〉です。

 反日帝国主義」(『大日本帝国』における植民地主義覇権主義膨張主義軍国主義)と書くならば〈時代・地域〉を限定していて理解できますが、「脱帝国主義」をかかげるならば連なって「脱国家主義」が実現できるはずとは暴論でしょう。朴氏は、「国民国家」を悪と捉えているのでしょうか?

 国家主義とは、社会的な差別構造をともなうために保守的イデオロギーを指す場合が多いと思いますが、実は、〈時代と地域〉によってさまざまに解釈されていて多義化しています。ベネディクト・アンダーソン著『想像の共同体』のように世界システム論から「巨視的歴史理論」をもって観察すると、理念としてのナショナリズムは必ずしも否定されるものではありません。

ことに被植民地国では、〈帝国主義支配への抵抗運動〉を展開していくとき、自らのネイションに対する愛情を高揚させて、一体感をもつ「我々」を強調して《自前の国民国家の建設》をめざすことになります。つまり、「解放」運動では、国民国家という枠組みでの〈民族の自立〉が強調されていくことになります。この場合もまた「逆転した愛国主義に転化されて駆け上がっていく危険があります。

帝国主義の時代のナショナリズムは、「異質」な存在をあぶり出し、そこに対立・差別・排除意識を煽って、その対抗意識によって自国の統合を強化しようとしました。非常に危険な様相です。しかし、今日の国際社会も依然として「国民国家」という境界線を前提にしています。

朴裕河氏のいう国家主義とは「世界政府」を羨望しているのでしょうか?1980年代、国際政治では《覇権による安定》論が模索されましたが、冷戦終結後には《力の均衡》観念も退行して、今日ではアメリカが紛れもない〈帝国〉としての相貌をそなえています。現在の国際政治においては、経済が一つの市場に統合されていっても、政治権力は多元的なので一元化されることは有り得ないことのように思います。あらゆる社会階層を横断する共属感情を形成する共同体は理想ですが、まだまだバラ色の夢でしかないように思います。

 朴裕河氏の「慰安婦」を支援する運動体批判(あまりに雑駁な!)は、ひたすらに、>「日本政府が作った基金への批判と攻撃」を続ける《挺対協》批判のために書かれているのですが、ついでに挺対協と連携する日本の革新左派批判もしています。

>305 >「〈帝国に抵抗した左派〉の運動であり続けるとしたら、日本の右派を相手にしたこの運動は、おそらく永遠に終わらないであろう」

 P297~の【第4部 第2章】は、朴裕河氏の主張の「まとめ」のようですが、何を許容し何を排除するのかが見えてきません。今日、猖獗にまで極めつつある日韓の「歴史問題」への提言にはほど遠いようです。

ところで、さらに、著者は、慰安婦は「韓国」の自尊心のために利用されてきたのだとも書いています。朴裕河氏の運動批判を読むと、「慰安婦」とは押しつぶされて諦念している無力な人とでもいいたいようです。が、事実は違います。

慰安婦は「儒教社会」という時代の制約・束縛のために困窮し、諦めと、忍耐と、沈黙を強いられてきたのですが、1991年、金学順さんが外皮を爆破させるように告発すると、その後、多くの「慰安婦」が名乗り出ました。

 今日では「慰安婦」は自己主張しています。その眼差しは、人間がいかにして呪縛から「自由」へ変革しうるかを私たちに見せてくれました。長い歳月の実践の中で鍛えられて学習し、何度も「慣習の転覆」をくりかえして覚醒したのだと思います。

搾取され困窮するなかで、人は受動的・消極的に運命を受動するばかりではなく「反抗」するようにもなります。緊張から弛緩へ、弛緩から緊張へと運動する中で、被抑圧者の意識は訓練され結集され、そうして組織していくようになると思います。それは、生命衝動の激烈さとの《対決》という心理的体験を通じて獲得されていくものです。

 とはいえ、その意識性の萌芽を意識性にまで成長させるためには、何らかの意図的な働きかけがなくてはなりません。支援する「運動体」の助けがあればこそ、今日があると思います。朴裕河氏は、《挺対協》を教条的で排他的な集団とみなして強く批判していますが、独善的であるように見えます。(参考:向坂逸郎マルクスの批判と反批判』)

 慰安婦」の世界への呼びかけとは、まさに実践のなかで練り上げられていったものだと思います。「つつましさ」から解放された表現が突きつけてくる言葉を前にして私たちは謙虚にならねばならないと思うのです。が、朴裕河氏は彼女たちに敬念の情を抱いているようには見えません。

 

 6.日本の「戦後的思考」とジェンダー

自らの〈女性性〉〈旧植民地出身者〉であるという当該性を前提としての語り。その被植民地国出身の学者が慰安婦」が拒絶するものを拒絶するとは、《序列抑圧化》のロジックいうものですその具体的な文脈は、一見リベラルな立場にみえるのですが、実は正反対の効果をもたらしてしまいます。

 実はこのような構図は、リベラル・左派がいつも志向する「和解」路線であると思います。日本のマスコミで時代の寵児になった「韓国人」知識人には共通点があるように思います。

額の下に静かな情熱を燃やしつつ気概にあふれている眼差し。時には「私だからこそ知る」というように真実の欠片を暴露してみせたりします。リスクを冒しさえするのですが、論争においては決して硬直化せず、穏やかであることが肝要です。何よりも世俗のさまざまな大義名分に品格よく加担することが求められているようです。

 シニカルな言い方をしてしまいましたが、戦後民主主義左派の間に生じた「特有のもつれ」というものを表すために誇張した表現になりました。

今日、 日本の「戦争責任論」、「歴史問題」をめぐる思想的対決は、〈歴史修正主義者〉対〈リベラリスト〉間という単純な話ではなくなってしまいました。

 それぞれの陣営内においても齟齬が露わになり、それぞれがもはや一枚岩ではないようです。そのような分裂・亀裂・危うさのなかでは奇妙な転倒も起きていて、何と、ナショナリスとリベラリストの間で、場合によっては連携が成立することもあります。

 両者とも欺瞞の回避のために集団ナルシシズムによって握手しているに過ぎないように見えます。その連携の背景には、まだ「徹底した献身と自己犠牲を強いるのか」という共通のジレンマがあるのでしょうか。

 70年代、大学紛争が終焉したあと【反差別闘争】が始まりましたが、良心ある日本人でも、初めての被差別者からの告発・糾弾にはたじろぎました。

当人は真面目に献身しているつもりなのに、さらに過剰な自己犠牲を強いられるのです。そのような過酷ともいえる要求の前では多くの人が挫折し退散していきました。

そような喧噪とは、批判的な自己意識の未熟、共同主観性内部での相対的な葛藤というものであり、〈運動体〉ではありふれたものなのですが、エリート意識の強い若い知識人は、早々に断念して立ち去っていったようです。それは、自分自身を〈支配的な知識集団〉から自律的に独立していると信じていたからではないでしょうか?

沈思黙考すると、やはり自分の知性には資格があるのだと思い直して本来の研究生活に戻っていったようです。しかし、そもそもが道徳性の過剰を求めていた人々だったのです。忸怩たる疾しい良心を抱きながら、それぞれの道に分岐していったのですが、後に、「敗戦後論」(加藤典弘)論争が「ねじれの議論」として火花を散らすことになりました。

 『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』が、日本のリベラル左派の〈ねじれ〉のなかで登場してきたことを注意深く読んでいきたいと思います。

 

※今回が、初めてのブログデビューです。

時間の事情が厳しいために、次回、続きを書きます。(すでに書き下ろしていますが、推敲の時間がありません。)

 そこで、次回のサブタイトルを挙げておきます。

 

・「アジア女性基金」の満身創痍と驕慢について

話してはならないこと、聞いてはならないこと

今日の大沼氏の言説は、日本帝国主義植民者と被植民者の対話を「所与の関係」として見ていると分かります。それは、優越意識を根に持った「恩恵的関係意識」というものです。

 

・攪乱された「国際法上の議論」と「国内法上の議論」

 

・非歴史的「ジェンダー誤答」

(1)作家田村泰次郎の小説を引用しての朴裕河氏の解説にみられ る「ジェンダー誤答」。次回、ていねいに紐解いて書きたいと思います。

(2)戦時性暴力」をとらえるときの脱歴史化について考えます。「家父長制における女たちに対する男性支配の構図を解体するために女たちは闘ってきた」という普遍性のもとに、「差異化」(階級、人種、民族、国籍、宗教、地域etc)してはならないという、或る種の「ジェンダー」理論に異議を唱えます。「序列化」とは排除につながりますから私も反対しますが、しかし「帝国」の概念のなかでは、酷薄な事実があります。

新自由主義グローバリゼーション下の過酷な現状にあっては「権力の植民地性」を分析する必要があると思います。『贈物』として「女だから好きなように」貪り食ってよいという陰鬱な過酷な計略は、そもそも原始共同体に遡る起源をもっています。『贈物』とは、欲望や権力の記号であり、財貨が結実する原理であると認識すれば、資本主義の構造的暴力はまだまだ猛威を振るい続けると思います。

 3・『戦場の狂気』―二重化三重化されていく「偏執狂的妄想」

歴史修正主義者の「良心の呵責」と「罪責感」

*償われるべき被害とは何か!